「有限なる人材」の争奪戦争

人材ビジネスに関わっていてつくづく感じることは「人という資産は有限である」ということである。無論、お金だって何だって無限なものなどないのだろうけれど。

これまで「世の中にないものを作る」とか「今市場にないサービスや利便性の高い新しいものを作り出す」という物づくりに携わる素晴らしい情熱を持つ方々ともお会いしてきた中で、「人材」という加工も生産もできないものへのもどかしさを感じたりする。

「こんな人材が欲しい」という相談は数限りなくあるのだが、残念ながら「こんな人材」を我々が創り出すことは出来ない。

そしてもっと難しいのは「こんな人材」が自社に入社してくれる保証はない。理想の結婚相手像がどんなに明確にあってもそれを兼ね備える人は限られていて、必ず結婚できるわけではないのと同じ。

それでも経営者はスーパーマンを欲しがる。自分の右腕左腕のような存在ともなれば尚更。気持ちはわかる。そうなるとこれはもう完全に「有限なる人」の取り合いである。優秀な人材を採用したい企業が何万社あろうと組み合わせは優秀な人材の数しか出来ない。そして採用できない企業は永遠に「恋人募集中」になるわけである。何とも切ない現実なのだ。

これから20年30年と日本の将来を考えるとき、少子化の中でこの問題が益々大きくなって行きそうなのは皆が予感している。外国人労働者の雇用、シニアや女性の労働力を如何にうまく活用するかが当面の企業成長の鍵になるのは間違いないだろう。

かつて「就職氷河期」と言われた時代を経験した世代からすると隔世の感を禁じ得ないが、単純な需給バランスの問題というより「欲しい人材の少なさ」が今の日本の問題で、経営のコア人材を求める声は年々高まっていると感じる。

また、日本企業が一般的に先進諸国グローバル企業と比べて給与が低く、「語学堪能なデキる人」を外資系企業にとられてしまっているという実態も状況に拍車をかけている。

お金の問題も含めて考えた時、そもそも欲しい人材像が本当に適切なのか、という話もあるのだが、この話題は語ると長くなるのでまた次回。

そのうちお茶の水博士が現れてアトムをたくさん作ってくれたなら解決するのかも知れないが・・・。

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