「エビデンスと名人芸」・酸っぱいぶどう理論 #10
またまた、我が師・片山恒夫の話をさせて下さい。
今は亡き明治生まれの開業歯科医の話であるが、
内容は今の歯科界にも脈々と受け継がれている話。
・お山の大将・酸っぱいぶどう理論
とでも云おうか。
少々愚痴っぽくなるが、ご勘弁を。
我が師・片山恒夫は超一流の臨床家だった。
と同時に偏執的な研究者でもあった。
幼少期、当時不治の病であった結核で母親を亡くした。
病気を前に、医療は全く力を持たなかった。
その無力な医療によって、母親と会う事も話をする事も禁じられた悔しさ・・・。
そんな経験からか、将来はパスツール研究所の研究職を望んでいたというが、諸事情で諦めざるを得なかった。
歯科医療の世界を選択したのは
水力発電のエンジニアで、北欧の医療の知識があった父親の助言と、医療不信が根底に有ったからのようだ。
・自分にできることは何か?
優れた研究者というのは、どこかオタク体質な処がある。
ある現象や変化に対して、
その原因や経過をトコトン観察&追求する。
そして、事実を一つ一つ積み重ねて、仮説検証を繰り返して
独自の理論体系を築き上げていく。
臨床家でもある片山恒夫は、
眼の前の患者さんの歯や歯肉、噛み合わせ等々の
変化について、詳細に観察&記録を続けた。
その上更に、
歯科疾患、特に歯周病の原因除去と治療について
仮説・実践・検証・軌道修正を繰り返し、治療実績を積み上げていった。
「歯周病・抜かずに治す」為にはどうするか?
実験室、試験管内の出来事ではなく
あくまでも社会生活を営むヒトとしての患者さんに起こる
事実の集積だ。
過去に例を見ない実績を積み上げていく為には
エビデンスに頼ることは出来ない。
故に、害のないことが第一という基準をもとに
仮説・実践・検証・軌道修正が繰り返される。
そして積み重ねた臨床実績をもって歯周病学会や公衆衛生学会等で発表し続けた。
また、片山セミナーを開催し、
私達のような実績の無い後輩歯科医のために
学びの場を提供してくれた。
一人の開業歯科医が患者さんの長期経過をもとに
「片山方式」という治療法を築き上げたわけだが、
大学人、研究者から見れば
街場の歯医者の仕事の集積に過ぎない。
積み上げたデータは、
口腔内写真、上下の歯と歯肉の石膏模型、X線写真であったり・・・超アナログだ。
電子顕微鏡も無く
ガスクロマトグラフィーなどの
分析装置も無い。
「長期経過」「長期保存」という結果が全てだ。
新発見を誇るためではなく
20年、30年、40年と続く患者さんとのお付き合いの中で
起こる変化の記録だ。
そこから得られる仮説や治療法などについて
当時の歯科界の反応はと云えば・・・
・名人芸
「あれは、名人片山だから出来たこと」
「再現性がない」
といって
結果が提示されているにもかかわらず
大学や研究機関は検証をしなかった。
というか
目の上のたんこぶである町医者・片山を
片山名人と崇めたふりをしつつ
臭いものには蓋、でやり過ごし、
自分達のプライドを保とうとした。
検証しようにも、その術が解らなかったのだろう。
科学者の態度としては、如何なものか?
・酸っぱいぶどう
イソップの「酸っぱいぶどう」の話とそっくりだ。
主人公のキツネはおいしそうなブドウを見つけるが、それはとても高いところに実っていて、とても届かない。ブドウを諦める際、キツネは「あのブドウは酸っぱくて美味しくないはずだ」と言い残して立ち去った。
負け惜しみ、自己正当化の話だ。
眼の前に結果が示されている事実に対して
その再現法が
「なんか難しそう」で
「自分には出来そうもないな」
と察知して、検証をせずに敵前逃亡を図り
再現性のない名人芸の扱いをして
自分たちのプライドを保つ。
そして、片山セミナー受講生を
片山教信者と呼んで、少数民族排斥運動だ。
今でも、歯科界にはスタディーグループとか
◯✗研究会といったコミュニティーが林立する。
そして、高プライドの教祖様を中心に
その信者達によるコミュニティーが沢山出来上がる。
「お山の大将・酸っぱい葡萄理論」
「教祖様ビジネス」
は、片山の現役当時よりも盛んかもしれない。
しかし、片山教信者は、
木に登り、葡萄を手に取って酸っぱいか否かを検証し続けた。
・この片山を越えようと思うなら、片山を疑う事から始めよ
・片山と同じ結果が出せるようになるまで、
徹底的に真似してみろ
幾度となく言われた言葉だ。
・文明病としてのむし歯と歯周病
数十年前から、片山がずっと言い続けてきた歯周病と全身との関係や、食、咀嚼の大切さ、唾液や呼吸の効果・・・。
令和の今、
これらが最新の知見であるかの様に言われているが
エビデンスはこの本に示されている。
片山が翻訳し自費出版した
「食生活と身体の退化」W.A.プライス著、片山恒夫訳
のように、100年以上も前に事実が示されているのだ。
・コロナ禍が暴いた稚拙な科学
コロナ禍において
医学(その中の一分野である筈の歯科医学)は
稚拙な科学であるという実態が暴かれてしまった。
医学、医療の世界って「なんか凄そう」
と思わされていた権威のベールが剥がされ
あまりにも稚拙で、未熟な科学であるという事実が明らかになった。
科学の皮を被った伝統的手工業の世界を素直に認め
手仕事の医療をサイエンスにすべく、
一から検証し直す必要がある。
というか、最初からそうじゃなければいけないのだが・・・。
そして、歯科においては
数値化されてこなかったデータの数々、
例えば口腔内写真の歯肉の色や形態や
石膏模型の経時的変化等の情報を
AIに飲み込ませ
昭和、平成の時代には出来なかった
データベース化を早急に進めるべきだ。
が、恐らくここにも、お山の大将・酸っぱい葡萄な人達の
高プライド血症が立ちはだかることだろう。
これを破るには、同じ土俵に乗らないことしかない。
コロナ禍で暴かれた通り
内部からの改革が出来ない世界なのだ。
戦前から戦後にかけてGHQに乗り込んでまで闘ってきた
片山の様に突き抜けるしか無いのだろう。
しかし、今の時代に、個の力を上げるには限界がある。
カリスマ片山恒夫の再来は望めない。
これからの医療の世界では
産学官+患が連携し
患が中心の良きコミュニティーの力で、
医療改革していく事が必要なのだと思う。
難しそうだな・・・・。
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