誰に聞いたって最後は自分の行動、誰のせいでもなく、最後は責任は自分に伴う。
人生は何がゴールなのだろうか 結婚を基準にした場合、何歳でも結婚できればいいと考えるが後になるにつれて自分も子供にも負担になると感じる。 自分の人生で考えるのもいいけど、自分だけの人生ではないのが現実。 どれを判断基準にしたらいいのか正直分からない
これは、昭和の標語である。 何が足りなかったのか、何がいけないのか 考えることが大事、 誰々のせいだから、あれが無いからと言ってしまえばそれまでである。 考えること
子は親を選べないからこそ、親には責任をもってほしい
驕らず、気取らず、 でも、言える余裕も忘れずに
田舎にいると人の言動と行動が見合ってない。 ほんとにそこが好きなら住めばいい、応援しなくていい住めばいい それだけで経済は回る、十分応援になる 他人任せはマジでやめて
指示待ちは行動してない。 そういう認識はいつからもたれたのだろうか、 聞きに行く、その行くことだけでも行動したキッカケ 誰かが行動しない限り時間の無駄 先にある結果が怖くて大抵の人は動けない。 嫌われてもいい、評価が悪くてもいい 行動した自分を褒めちぎって
昔からその本質を評価してるようにみえて、その周囲の環境で評価されていることがある。 人や状況、その本質を判断せず 理不尽
掃除で感じた。 一気にやってもとれないものがあるし、強力なものでやっても月日が経てばとれなくなるものがある。 定期的にやることが1番の近道だってこと 全てに通ずることだけど、、 最近、運動を継続しようと思ってる。 まず、結果を早く求めようとしてしまいがちだけど、重要なのは継続できるかどうか きつくても、メンタルがもつかどうかだよね