いつかの今日の備忘録
そういえば、ふと思い出したんだよね。
すごい災害が続け様に起こって、
本当に大変だった頃があったなぁ、
って。
なんだか、今日はのんびり過ごしすぎてて、
時間の感覚が少し麻痺したような感じで。
なんでかわからないけれど、
思い出したから、備忘録的にここに書いておこうかと思う。
始まりは、3月に起きた大地震だった
日本で起きた地震で、その時私はまだ教師をしていて、
ちょうど、次の4月に小学校に上がるお子さんの面談をしていた。
その地震でたくさんの人が亡くなって、
日本中が喪に服したみたいに静かになった。
困っている人のために何かしたい。でも、間違ってはいけない。
「自粛」という言葉が重い蓋のように全てを覆って、
何かに心を縛られるように、
何を恐れているのかわからないまま、
人々は自分の無力さと直面した。
でも、それがきっかけで、
「自分にできることは何だろう」
って、考える人がすごく増えた。
今ある日常は決して当たり前ではなくて、
一瞬で消えてしまうかもしれないこと。
誰か、どこかの偉い人が、どうにかしてくれるだろう、
自分には関係ないし、自分一人が動いたところで何も変わらない、
そう思っていた「当たり前」が、
徐々に、確実に崩れて、
「自分」や「当たり前」を大切にする人が増えた。
心の仕事の重要性が一気に認められ始めた
大きな津波が、全てを流し去ってしまったのを
目の当たりにしたあの出来事で、
傷ついた心を想い、寄り添おうとすることの必要性や重要さが
あらゆる場面で当たり前になった。
心のように見えないものも、
肉体が怪我をするように、大きく傷つくということを、
日本中みんなが体感したんだ。
被災していなくても、
TVの中の出来事、って思えなかった。
自分の心も痛い、って、体感した人がたくさんいたんだと思う。
TVで見ただけでこんなに痛いんだから、
実際に被災した人はどんなに辛いだろう、って、
危機感を持てるようになった。
心が傷つくと、
死んじゃうことがあるんだって、
これまでも、みんな頭では理解していたけれど、
体感として理解した人が増えた。
高価なものや珍しいものをたくさん持っていることが「幸せ」
なのではなくて、
「当たり前」に「心穏やかに」暮らせることが「幸せ」
なんじゃないかな、って、
思う人が増えた。
そんな大きな傷が
だいぶ癒えた頃だった。
100年に一度の疫病が発生した。
「パンデミック」なんて言葉
映画やゲームの中でしか知らなかった。
学校が休みになって
会社が休みになって
お店も休みになって
家から出るな、買い物にも行くな、
って
日常でできていた、「当たり前」が
今度は物理的にできなくなった。
その10年前に起きた震災の時は
心理的な自粛だったけれど、
今度は物理的な自粛だった。
いつ収まるんだろう、と誰もが思ったけれど
数年後のある時から
世界中で発症者が急に減り始めて
気がついたら、風邪みたいな扱いになっていた。
あの時、何が起こったのか、って
今でも専門家の人たちが時々議論しているけれど
私は、自然界の突然変異や適応連鎖のバランスで淘汰された、
という説が気に入っている。
ウイルスが弱体化したのか、それとも人間が強くなったのか、
その検証もできないくらいに、急速にあのウイルスは消えた。
消えた、というか、脅威じゃなくなった。
スピをかじった身としては、
役割を終えたんだろう、と、こっそり思っている。
疫病が人類にもたらしたもの
あの疫病が世界に与えた変化は、本当に凄まじかった。
あらゆるものがオンラインでできるようになり、
世界中の距離がほぼ0距離で繋がるようになった。
「好きな場所で、好きな時間に」
働くことなんて、あの厄災前は何だか夢物語みたいに言われていたけれど、
厄災の後は、当たり前になっていた。
時間や場所に縛られなくてはいけない仕組みは、
ちょっと時代遅れ、って言われるようになった。
好きなことを仕事にする、
も、そういえば夢みたいなフワフワした言葉って言われていたよね。
でも、今は、そっちの方が当たり前だ。
人と会ったり、喋ったり、
歌を歌ったり、集まったり、
一緒にご飯を食べたり、
お酒を飲んだりすることは、
厄災前は面倒に思っていたり、
慣例だから、何となく、で当たり前にしていたけれど、
それが、どれだけ人間が生きていく上で、
力を持っていたのか、大切だったのか、ということを
人類は知った。
自分を大切にする、ということと同時に、
大切な人と過ごす時間と空間を大切にする、
ということが、大きく見直されて、丁寧に扱われるようになったのも
あの厄災後からだと思う。
人間しかできないこと、を見つけた
地震と疫病の二つの厄災が起こる前、
「AIのシンギュラリティ」っていう都市伝説が流行っていた。
人工知能が人間の能力をはるかに超えて、
人間が大量に働く場所を奪われる未来がやってくる。
今ある仕事の中の、半分以上がAIに代わられて、
消えてしまうだろう、と言われていた。
でも、どうだ。
AIでは決してできない、
人間同士でしかできない、大切なつながり方を、
結果として人類はあの二つの災害から知った。
あの災害後からできた仕事の、なんと多いことか。
そして、
その多くが、人の温かさや優しさ、
心の交流や対面である温かさを重視している。
人間の生き方自体が、変わった出来事だったと思う。
そして、何といっても。
疫病と同時に起きた、
あの歴史的な事件。
「戦争」という概念の終わり
2月の末にいきなり始まった、大国の戦争。
一歩間違えば、核戦争になってしまったり、
世界中を巻き込む大戦になってしまう選択肢もあったと思う。
いつ終わるのか、どう終わるのか、
世界中が固唾を飲んで成り行きを見守っていた。
でも、あの時、誰が想像しただろう。
いや、誰かが描いていたから、あんな奇跡が起きたわけで。
奇跡は起こすものなんだ、って、
あの時、世界中が目撃した。
そのずっと前から、
ずっとずっと前から、
「世界平和」っていう言葉はあった。
でも、その言葉も、他の多くの言葉と同じように、
夢物語だって言われていた。
人間が、国境を超えて、
国や人種を超えて、純粋に手を繋ぐことは難しい。って
宗教の問題や歴史の問題、
いろんな問題が禍根を残しているから、
「世界平和」は努力目標、
本気で実現なんてできない。
少なくとも、すぐにはできないって、
大人はみんな思っていたんじゃないかな。
でも、
今、本当に思う。
あの戦争が起きたからこそ、
世界中が本気で平和を、地球の未来をどうしようか、って考えたからこそ、
今があるんだって。
あの戦争は、
あの事件は、
世界の「国境」を消した。
今はまだ、心理的な国境を消しただけで、
物理的な国境が消えるのはこれからなんだろうけれど、
心の国境が消えた今、
「戦争」っていうものが概念や時代遅れになってゆくのも
もはや時間の問題だろう。
こんな、めくるめくような変化が、
ほんの、15年ほどの間にあったなんて、
本当に信じられないなぁ、って思うんだよね。
今日も、こんなに木星がよく見える、
コロニーαユリイカから、すみぃでした。
ではね!!
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