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手詰まりの時は、多角的に掘り下げてみる。

初めてインターネットに発信をしたのは、大学生の頃なので、
ブログを書き始めてから、もう何年経ってんだ、
って感じなんですけど、
毎日投稿チャレンジを始めてから今日で9日目、
ブログを毎日書く事による恩恵を、
予想もしなかったところから感じている最近です。

答えは自分の中にある、とか
世界は問いかけたら応えてくれる、
ということを、私は常々言い続け、伝え続けているわけなんですが、
自己啓発やスピリチュアル歴が長いと、
色々手詰まりになってくるんですよ。

そんなことをぶっちゃけていいのか、
って感じもするんだけど、
おおっぴらに言ってないだけで、
同じような手詰まりを感じてる人は業界にいっぱいいるだろうから、
今日は、そんな、
言っちゃえ 言っちゃえ
って感じでぶっちゃけるブログ。

「道」は、狭くなったり広くなったりする

人は、考えに行き詰った時や、
思考が凝り固まったり縛られたりする時に、悩む。
その様は、まるで、
未来へと続く道が、徐々に狭く困難になっていって、
行き止まりになったり、高い壁に阻まれたり、
針の穴を通すような、細ぉい道になってしまっているような、
難しい感覚。

でも、そんな時に、
新しい世界について学んだり、
新しい知識を得たり、
効果的なワークをしたり、
ハッとするような考え方やアドバイスに触れたりした時、
バァっと、目の前が開ける感覚や、
壁がドーンって壊れる感覚、
コンクリートに見えていた重たい扉が、実はレゴブロックの集合体で、
小さいレゴをボロボロと外して行ける突破口を見つけた、
みたいな、そんな拓けた感覚になる。

ちんぷんかんぷんに見えていた数式や、
長文の英文が、
あ、わかる!わかるわかる!
ってなって、自分にとって意味がわかるものになった、
あの瞬間に似てる。

人生を歩んでいくことって、
平坦な道じゃなくて、
上り坂、下り坂、っていう表現がよくあるけど、
私は、どちらかというと、
狭い砂利道だったり、
舗装された広い道路になったり、
っていう感覚。

30代中盤を過ぎた頃が、中だるみの時期

まだね、私自身が人生の中盤のペーペーなので、
人生について語れたもんじゃないんだけど、
私の今の感覚として、
30代の中盤あたりから、徐々に変わっていって、
最近とても感じている危機感がある。

それが、最初に述べた、「行き詰まり」。

若い頃は、知らないことがいっぱいあるし、
知らない方法がたくさんある。
だから、壁にも多く突き当たるんだけど、
その分、試していない打開策も溢れているから、
片っ端から試すことができた。

試してみないとわからない、
行ってみないとわからない、
やってみないとわからない、

っていう、モチベーションがあった。
だから、立ち止まらなかったし、
本当の意味で行き詰ることは、無かった。

だけど、30代の半ばを過ぎた頃から、
なんとなく、行動力や瞬発力のパッションが
下がり気味になっていっているのを、地味に感じてた。

自分が若かった頃、自分がワークショップをやり始めたばかりの頃や、
セミナーをやり始めたばかりの頃、
何度も口を酸っぱくして繰り返しお客様に言ってた。
特に、30代以上のお客様に言ってた。

試す前に「あー知ってる」とか
「どぅせやっても変わらない」って、思わないでくださいね、
この時間を、楽しんでくださいね

って。

その年代の大人の目が死んでるのが悲しかった。
その年代の大人の目に光が戻るのを見るのが、嬉しかった。
疲れた顔に赤みがさすのが、どんな褒め言葉よりも嬉しかった。
作った笑顔じゃなくて、本当の笑顔が溢れた瞬間が達成感だった。

あーーーー。

あのこーろの、僕らがーーーー
わらぁあってーーけーいーべつ〜したーーー
からーーーーっぽのーーーおとーーなにーーーー
きーづけーばー なぁーっていーーたよーーーー。
song by 砂の果実/中谷美紀

今、自分がその年代になった今だから、わかる。

諦めてしまうほどに、何度も挑戦して、
何度も行き詰って、何度も打開して、そして、
また壁にぶち当たる、
ってことを、繰り返してきたんだ。

既に何度も試して、
既に何度も実践して、
ホント、心の底から、もう、ダメかも。
って、諦めてしまったんだ。

この年代になると、自分の人生の終わりから逆算して、
残された時間と可能性を無意識にでも意識しちゃって、
今からやって、間に合うのか?
って、思ってしまう。

自分がそんなことを感じる日が来るなんて、
思わなかった。
本当に、思わなかった。

それを必死で否定してきた、20代だった。
「大丈夫、できる。」
「大丈夫、間に合う。」
「大丈夫、変われる。」
って、言い続けてきた。

ホント…生意気な若造だったわ…。
と、今、思う。

好奇心の赴くままに、色々調べてきた。
情熱の向くままに、色々体験してきた。
だからこそ、感じてしまう。

「今の私を打開できるものが、あるのか?」

って。
やり尽くしたように、思ってしまうんだ。
経験値と知識が増えたからこそ感じる閉塞感。
さぁ、この行き詰まりと閉塞の中だるみから、
どう脱出する?

手詰まりの時は、多角的に掘り下げてみる。

やり尽くしているように感じても、
地道にあの手この手を試してみるしか、ないんじゃないかな、
って、今のところは思っています。

あの時、若造の私が、根拠もない情熱で、
「やってみないとわからないんですから、まずは楽しんで」
って言い続けていたことは、
やっぱり、事実で。

若い頃のように、
劇的な打破は無いかもしれない。
でも、
打てる手数は若い頃より多い。
一打の深さも、年の功だ。
さらに、手当たり次第じゃなくて、
質のいい武器を見極める眼力もある。

あの手この手、試して行ったら、
じわじわ答えに辿り着く。

大丈夫。あなたなら。
大丈夫。私なら。
諦めなければ絶対に辿り着く。

そうやって、自分を信じ続けるしかないんじゃないかと思ってる。

私が、狭い道を進んでいくやり方は、
なんか推理小説を読み解くのに似ていて、
あちこちから来るメッセージやインスピレーションの、
カケラを集めて、最適ルートを絞ってゆく。

耳をすまして、目を澄ましてヒントを見つけて、
たくさん集めて、ビーカーに入れて加熱したら、
化学反応が起きて、沈殿ができる、みたいな
そんな感じにも似てる。

アレコレ試して、一つがドンピシャじゃなくて良い。
その中から、自分にしっくりくるピースを、
一つ一つ集めていけば良い。

1日を振り返る手記がくれている恩恵

手詰まり。

そんな時こそ、
今までやってないこと、
今まで、できなかったことに、
再チャレンジしてみる価値があるんだな、と、
使い尽くされている方法なんだけど、ホント思う。

私の場合は、この毎日投稿チャレンジが、それ。

もともと、文章を書くのは嫌いじゃなくて、
日記を書いたり、手記を書いたり、
折に触れてやってたから、
私にとって、文章を書くこと自体は、
全く新しいことじゃ無かったのだけど、

毎日書く、って決めたことが、
こんなにも恩恵か、って、実は思ってる。

今までは、まとまってから書いてたんだけど、
毎日、ってなると、
考えをまとめたり、ネタを待ってる余裕はなくて、
ほとんどまとまらないままに文章を打ち付けていくことになる。

必然、今一番気になっていることがネタになるから、
大体はその日や最近起きたことを考察する文章になっていって、
ぼんやり頭で考えていたことが、
意外な深い気づきやまとめに集約されていく。
モヤモヤしてたことがまとまって解決されていく爽快感がある、
っていう感じを、今のところ感じている。

今日は、知り合いのおがわちからさん
近くのカフェでセッションしていて、
あ、行こう、って急に思って、すぐに行ってみた。

丁寧に真剣に誠実にお話を聴いてもらって、
とっても具体的に腑に落ちるアドバイスをいただいて、
めっちゃスッキリしたので、
そのセッションでもらったメッセージについてブログを書こうとして、
書き始めたんだけど、
今日も結局、書き始めとは全然違う話になった。(笑)

このnoteは、そんな感じで良いかな、って
今は、私自身、書いてて面白いから、良いことにする。

note継続チャレンジ 現在継続日数 9日

スピリチュアルイベント「Ray of Light」
記事中に登場してくださった、おがわちからさんも出店されます(^^)


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