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「視座」を知ったらいろいろ許せて楽になった件

昨日、友人がクローズでやったとあるお話会に参加したのです。

そこでの気づきが、
いろいろと最近のあれこれと繋がってシンクロしているので、
うまくまとまるかわかりませんが
適当に書き留めていこうかと思います。

さて

昨日のお話会での私的ビビビポイントは以下の3つ

1)視座とは
2)女王様の在り方
3)富と徳と幸せの共通点


一つずつ気づきをまとめていくね

1)いろんな視座があっていい

 「視座」という言葉を知れたことで、
これまでのモヤモヤが一気につながってスッキリしたのが、
このお話会に参加して、まず一番大きかったこと。

「視座」とは何かというと、
同じものを見るために座る地点のこと。

視座が高いと、俯瞰視点のように、ざっくりと全体を見下ろす、包括範囲は広いけれど抽象度の高いものになる。

視座が低いと、一人一人の隣に寄り添うような、
具体的だけれど例外もあるようなものになる。

 一般的には視座が高い方がいい、と言われているけれど、
お話会の中で、
視座を高くすることで、メリットはたくさんあるけれど、
高いことが良いことではなくて、
いろんな視座にエレベーターのように自在にアクセスできると
より、良いよね

ということや、
同じ視座だからこそ通じる、伝わる、ということもあるから、
視座が高いからいい、低いから悪い、ということでもない、
という話も出ていて、本当にそうだなぁ、って思った。

同じ物事を語っているのに、
いろんな人が色々なことを言って、
細かい具体的なことが噛み合わなくなるのは、
それぞれの人が座っている視座や見ている視点が違うから。

だから、どれが合っていて、どれが間違っている、ということはない。

 参考「視座・視点・視野の違いとは?」
https://solution.lmi.ne.jp/column/c200

 心や見えない世界を学んでいると、
「心」「精神」「スピリチュアリティ」について、
様々な時代で様々な人が真剣に取り組んで研究して構築してきた、
いろいろな理論と出会う。

心理学も宗教も占いも、全て、
「より良く健全に生きるにはどうしたら良いのか」という、
たった一つのことについて語っている。

なので、突き詰めていくと、細部は違っても、
大体ほとんどが、大枠としては同じようなことを言っているなぁ

と、わかってくる。

でも、
「より良い人生とは」
という価値観が違ったり、
「魂」についての捉え方が違ったり、
科学を使って証明しようとしてたり、
宗教を使って説明しようとしてたりするから、
使う言語やアプローチが変わる。

「成熟段階」も「視座」に似てる。

これまで見えない世界について学んできて、
魂や人間や宇宙は、
スパイラル状に成長していっているんだなぁ
ということが腑に落ちてきて、

心のことを学んだり、身につけたり
実践していく上で、
魂の成熟度
っていうのが外せないなぁ
っていうのを、年々感じるのね。

つまり、段階が違うから
「コレをやったら大丈夫!!」
っていう万能のものもないし

「一度やったら一生いらない!」
というものもない。

螺旋状に成長するから、
同じような課題が少しずつレベルアップして繰り返し来るし、
その段階によって、必要なスキルもちょっとずつレベルアップする。

そして重要なのが、
成熟度が高いからいいとか、
悟ってたらすごいとか、
低いからダメだ、とか
そういうことではない。
ということ。

ここを勘違いされそうで、
なかなか、コレについては発信しづらい。 

魂の成熟段階によって、魂磨きの方法やスキルが変わる

「魂みがき」という言葉が
またもう既にある視座に固定されるんだけど
まぁ、「良い人格になるには」とかね。

例えば「感謝」について。

この感情が、悪く言われることはほとんどない。

ただ、ここへのアプローチや適合が、
人によってそれぞれ違う。

1「ありがとう」とただ唱えるだけでいい、という人

2「ありがとう」と思うことを探すことで運が良くなる、という人

3「ありがとう」を伝えることが重要、という人

4「ありがとう」と言われることをすることが大切、という人

5「ありがとう」と言われなくてもやる、ということが大事という人


なんとなくわかるように、

どれが正解で、どれが効果があるとか、ないとか、そういう話じゃない。

ただ、アプローチが違うだけだし、
それぞれが、
心の成熟段階に応じて無理なく「感謝」の感情に触れる方法だ。

なんとなく、1から順に、段階的に成熟していく感じ。

1「感謝」を強制されているように感じたり、
 「感謝」自体に拒否感や拒絶感を感じたり、
  自分にも他人にも
   何にもありがとうと思えない人は、
  ただ唱えるところから。

2 ちょっと落ち着いて慣れてきたら、
  身近な小さなありがとうを探す意識を持つことから。

3 見つけることができたら、伝えてみることから。

4 十分受け取って、自分も誰かを喜ばせたいと自然に思えたら、
  やりたいことから。

5 誰にも気づかれなくても、自分の心が喜ぶことを見つけたら、
  それをすることで感謝が発生する。


全部、「感謝」のエネルギーに関する、
段階的アプローチの話で、
繋がっている。

ただ、段階が合わないと、
それをやることで逆効果になったりする人もいる。

という、ただそれだけのことで、
間違っているものは一つもない。

町内会のゴミ出し規則は、隣の町には当てはまらない。

日本のゴミ捨ての常識は、隣の国には当てはまらない。

でも、ゴミはない方が気持ちいいよね、
というところでは共通。

そんな感じで、
段階や範囲に合わせて適応や言語化が変わるのが、
視座、ということ。

これを知ることができたおかげで、
これまで、なんで同じことを言っているのに、
いろいろ違うんだろう、

段階的スパイラルについての仕組みは、簡単なのに面倒。
どうにかして、全部に当てはまるようなことはできないんだろうか?
全部に当てはまるようなことはできないということを、
どう説明すればいいんだろうか。

…と、モヤモヤしていたのが、

なんか、スッキリしました。

あー、私がやらなくてもいい。
いろんな視座の人がいるから、
それぞれの視座の人にしっくり来る説明を
それぞれの視座の人がしてくれる。

そして、私が延々と「根源」に向かって
共通点を探そうとしていたのは、
「視座」を高めようとしていたからなんだ。

だって、視座を高くしたら、
違うからモヤモヤしていたものを
包括できて、許せるから。

視座が違うから、言語化の仕方や定義が多少違っても当たり前。
細かいことを言ったらズレるのは当たり前。
あの人、細かいこと気にしすぎ。って思わなくていい。

いろんな視座の人がいるから、
それぞれの視座の人に通じる言葉が飛び交うんだ。

人の心の仕組みや、才能、特性、性質とかについて学ぶと、
身の回り全て、一人として同じ人間はいなくて、
こんなにも一人一人が違うのに、
よく、言葉が通じて、
よく、一緒に働いて、会話して、
暮らしていけてるよな!(◎_◎;)

と、驚愕に似た驚きを感じるのよね。

私が今でも時々感じる、
異国語が飛び交っているような感覚は、
当たり前で、そして、悪くない。むしろいい。
ということが、この「視座」の観点によって、
より腑に落ちたので、

より、世界を生暖かく見られるようになりました。

キャシィひろこ こと ろこちゃん、
素敵なお話会をありがとう!!

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なんか、最初の一つで結構長くなっちゃった。

二つ目以降は次の記事にするね。

ではではー

本日はこちらにイルヨ


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