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わたしのピアノ

  
「もりちゃん、ピアノ弾けるの?」
音楽室の掃除の時に普段は鍵のかかっているグランドピアノの蓋が開きっぱなしになっていて、もりちゃんはいち早くそれを認めると「ピアノつ」と叫んで駆け寄りポーンとひとつ鍵盤を叩いた。

「弾けるって程でもないけどね、習ってたんだ。小学生の時」    
「ふーん」
「ななこちゃんは?ピアノ弾ける?」そう聞き返しながらもりちゃんは、ゆったりとしたきれいなメロディを少しつっかえながら弾き始めた。
私は「弾けないよ」聞こえないほど小さな声で答える。
だんだん調子が出て滑らかになってきた音の羅列は聞き覚えがあった。
私もこの曲を弾いたことがある。

 誰にも言った事はないが、私は小学四年までピアノを習っていた。
誰にも言わなかったのは何年も何年も習っていたのになに一つ私の中に残っていないからだ。何も弾けないし、楽譜も読めない、そんなのは習ったと言わない。
 初めてピアノに触れたのは多分三才位の頃で子供にピアノを習わせるというのは母親の夢だったのだ。
六年間週に一度通ったその教室は先生の自宅で、白い壁の緑の屋根でポーチから続く芝生の庭がありザクロの木が植えてあった。
ピアノのあるリビングにはソファが一つとテーブルが一つ。
そこにはいつもきれいな色のキャンディや先生のお母さんが焼いたクッキーが出されていて、庭のザクロが実をつけるとテーブルに置かれ自由に食べてよいことになっていた。
その奥のキッチンからはいつも甘い匂いが漂っていた。

レッスンは一人十五分から長くても三十分で二人か三人がソファに座ったり芝生の庭に出たりして順番を待っていた。
クリスマスにはパーティがあり生徒が集まりプレゼントの交換をするアットホームな教室だ。ピアノを習う事には興味がなかったが、その少し異国風の家に行くのは楽しみだった。
先生はまだ若く美人だった。その先生がため息をつきがっかりしたように言う。
「ななこちゃん、ちゃんと練習してきた?」
「……」
「言った所を弾けるように練習してこないとレッスンにならないでしょ?」
私はいつも何一つ練習して行かなかった。私は行く度に怒られながら少しづつその場で必死に指を真似、丸暗記するようにして曲を覚えた。練習する気がないわけではなかったが、家で楽譜を見ても音符はただ散らばった黒の点にしか見えず、私はまったくといっていほど音楽のセンスがないのだった。それでも小さい時はまだ許されて、しょうがない子供として手取り足取り人の三倍かけて進み、なんとか体裁を整えていた。
     
 このピアノ教室には毎年恒例の発表会があり、これが一番の苦痛だった。発表会を一か月後に控えたその日、発表会の曲をいまだ弾けずにいる私に「もうすぐ発表会なのに曲がまだ通しで弾けないし、練習もしてこないし、このままじゃ出られないわねぇ。今回はもう出ないことにする?」
毎回毎回、先生に一音ずつ何度も指を直されながら手と耳で曲を覚える苦労は並大抵ではない。でも、今思えばそれをする先生はもっと苦労で嫌気がさしていたに違いない。そろそろ最後通牒を突き付けられても仕方がなかったのだ。
でも、それは困る。年に一度の発表会は母親の唯一の楽しみだったからだ。大きなホールのグラウンドピアノで親も子も着飾って練習の成果を見せるのだ。ピアノを習わせている一番の醍醐味だ。
私は「次までに弾けるようにする」と、震える声で答えた。
先生はそっぽを向いて「じゃあ約束ね。今日は終わり」そういって次の子の名前を呼んだ。私のレッスン時間はわずか五分だった。

 一週間しかない。私は青ざめた。けれどなんとかしなければ発表会には出してもらえない。発表会に出られないなどとどんな顔して母親に言えばいいのか。部屋にはすでに新しく新調したワンピースがビニールをかぶって吊られていた。私は三軒先の音大に通っているというお姉さんを思い出し、母親同士が知り合いだったので発表会の曲がすごく難しいから練習を見てもらいたいと母親に頼んだ。
母親はそんなに難しい曲を弾くのかとひどく喜んですぐに母親同士の話し合いの末お姉さんが来てくれることになった。
お姉さんは約束通り次の日の夕方にやってきて、発表会の曲をみてピアノの先生と同じように「じゃあ、弾ける所まででいいから弾いて」と言い、私はまた、ここでも下を向く。
先生と違ったのはお姉さんはすぐに察して「この曲が弾ければいいのね」と言い、一旦、通しで弾いて見せ指を真似ろと言った。そうして弾けるまで何時間も口も利かず何度も繰返し弾いた。
夜遅く家に戻るお姉さんはお菓子を手渡しながらしきりと頭を下げる母親に笑顔でニコニコと応対していた。
最後に私にだけ聞こえる声で「向いてないんじゃないかな。ピアノ」と言い残した。 

 次のレッスンの時、現役音大生の手取り足取り、更に音の強弱まで叩き込まれた練習の成果に先生は驚き、喜び、私は無事にその年の発表会をのりきった。その後は今まで同様、失望されながら、行く度にほんの一小節か二小節を覚え一曲に何か月もかかるという作業を繰り返した。
次の発表会を乗り切る自信はもうなく、ついに「ピアノをやめたい」と母親に告げた。
母親は思いがけず「わかったわ」とあっさり認めるとプイと横を向いた。
私はわけがわからず母親を見つめていた。
「あんたは感情の起伏が激しいタイプだからあまりきつく言えないんだって」
「……」 意味が分からない。
「この間の発表会の後先生に言われたわ。ようするに見捨てられたのよ」

 「じゃ、掃除しちゃお」一曲弾いて満足したもりちゃんが箒を一本渡してよこす。受け取りながら「もりちゃん、なんでピアノやめたの?」と聞いてみる。「だって高校受験があるし、塾とか忙しくなっちゃうからね」
しごくまっとうな答えが返ってきた。

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椎名 雁子-kairko shiina
★2020/10/25 ひそかに応募して、ひそかに落選(;;)★

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