便利を撃ち抜くキャノンボール
唐突ですが、ぼくは中村一義、100sが好きでよく聞くのですが、『キャノンボール』という曲にこんな一節があります。
「ぼくは死ぬように生きていたくはない」
さて、
このnoteでもちょくちょく書いていますが、ぼくの趣味は写真です。
いまはSIGMAのsdQuattroを使っていますが、これがもう、使い勝手が良くはないのです笑
・暗い所では撮れない
・オートフォーカスが苦手
・重い
などなど
しかもぼくはオールドレンズを好んで使っているので、そもそもマニュアルフォーカスしか使えないし、油断すると手ブレもしまくりです笑
でも、うまくいくとほんとにバッチリハマってくれてすごく好きな感じの写真が撮れます。
「うまくいくと」というと賭けのようですが、まあ、実際はそんなことはなく色々と工夫をします。
例えば、暗い所が苦手だったり、手ブレがする、というのは、自分の脇を締め、足を適度に開いて、息を止め、集中したりすると、うまくいきます。
マニュアルフォーカスも、ピントリングの感覚を覚えたり、被写体との距離感を肌で感じられるように何度も何度も撮っていると、うまくいくパーセンテージを高くできると思います。
この写真なんかは、座っていた息子を撮ろうとしたら、急に走り出したので、慌ててピントリングを回しましたが、まあまあいい感じでピントが合いました。
とまあ、多少機械が不便でも、人の感覚でなんとかなる。
そしてなんとかなるだけではなく、なんとかしている状態に対して、一定の心地よさも感じている自分に、最近気が付きました。
なんだろう、大げさに言えば、「いきている」感じ。
最近じゃあ、機械の名前を呼べば、自分の好みの音楽を勝手にかけてくれるらしい。
すげー便利!
だけど、どこかに
レコード屋で何枚もジャケ買いして、「アートワークと方向性全然違うじゃん!!笑」と笑いたい自分がいます。(この曲の感じ、いままで避けてたけど、意外といいなあとかも笑)
あと、薄いタブレットの中に、本棚全部のお気に入りを入れて持ち運べるらしい。
すげー便利!
だけどどこかに
紙のページをなでながら、何度もお気に入りの一文を眺めていたい自分がいます。(なんならボロボロになるほうが嬉しかったりもする笑)
たぶん、ほんとに上手につきあっていけばそんなことはないのだろうけど、
便利によって、身体性や物質性がどんどん失われていって、実感がどんどん減っていく不安もあるのが正直なところです。
物や身体を礼賛するわけではないけれど、それによる実感が、「いきている」感覚に繋がっていることもまた事実だと思っています。
不便な、使い勝手の悪いSIGMAのsdQuattroは、ぼくに身体性を実感させながら、相変わらず素敵な写真をうつしてくれます。
これももしかしたら、カメラの楽しみ方なのかもしれないなあ。
たぶんこれからどんどんと世の中は、便利になっていって、ぼくらなんかをどんどん超えていってしまうのかもしれないなあ、とも思いつつ、
いまが令和だろうが、いまが2000何年だろうが、
不便と実感を無視していきたくはないなあ、と思います。
まあ、こんなに書かなくたって伝わることもあるんだろうけれど。
ちょっと重たいこの言葉を、軽やかに歌い上げるこの曲が大好きです。
「ぼくは死ぬように生きていたくはない」
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