つぶやきたくなってしまいました。
どうしても、つぶやきたくなってしまいました。
経済制裁って本当に正しい道なんだろうか。
チキンレースにしかみえない。
そして
それは、ある種の拷問でもあるのではないか?
今、お互いに拷問し合っている状態に思える。
人間は拷問を受けたら
正常な判断を失っていくのではないだろうか?
正常な判断ができなくなったら
どこに向かってしまうのか...
まずは停戦し、経済制裁解除して
お互い冷静に正常な判断ができるようになってから
先のことを決めることが大事に思う。
人間、寿命がきたら誰でも死ぬのに
どうせいつか死ぬなら
奪いあって憎みあって死ぬのか
分けあって慈しみあって死ぬのか
どちらを人間は選びたいだろうか。
そういえば
日本には大岡越前というヒーロー的なお奉行がいました。
日本人には有名ですよね。
【大岡裁き】について分かりやすい記事があったので引用させて頂きます。
これは有名な話ですが、要約しますと
「1人の子どもを巡って2人の母親が自分が本当の親であると言い張り、その決着を求めて大岡奉行のところに来ました。
大岡は『その子の腕を一本ずつ持ち、それを引っ張り合いなさい。勝った方を母親と認めよう。』と云いました。
二人の母親に引っ張られた子供は『痛い』と泣き叫びました。その声を聞いて、片方の母親が手を離しました。
勝った母親が子供を連れて帰ろうとしたところ、大岡はこれを制止し
『本当の親なら、子が痛いと叫んでいる行為をどうして続けられようか。その子は手を離した親のものだ』
と引っ張り合いに負けた方を本当の母親であるとした」
という話です。
また
この大岡裁きと同じような話は世界各地にあるそうですが、最も古いのは旧約聖書の列王記にあるイスラエルの第三代目の王・ソロモン(紀元前1011-紀元前931)が行った裁判の話と考えられます。
(中略)
インドの「釈迦前世物語」にも同じような話があり、ここでは、子を取り合う女性の1人は人食い鬼とされているそうです。ソロモンが裁いた別の事件が、北宋の名判官・包 拯(ほう じょう、999 - 1062)の「縛られ地蔵」となり、翻案されて大岡裁きに取り入れられたともいわれています。
【引用元】
大岡越前 大岡裁き・こども争い
https://ameblo.jp/eyeoda/entry-12458656334.html
大岡越前の名裁きは、日本だけの話ではなかったようです。
人間が人間として相手を思いやる心は
すべての根本にあってほしい。
もちろん人間は善だけの存在ではなく
同じ人間の中に善と悪があるんでしょう。
だからこそ、
どちらを選ぶかは人間次第なのだろうと思うのです。
大岡越前を親しんできた日本人は
その心を特に大事にしてきたと思いたい。
その日本人だからこその選択もまた必要なのではないだろうか。
戦争は人間を獣と変えてしまいます。
平和であったなら
飲み屋で肩を並べて知り合って
笑いあったかもしれない人たちが
殺し合ってしまう。
そんな世界は嫌だ。
心に蓮の花が咲きますように。
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