見出し画像

memo|小説を書くこと

頭の中の映像や文章を文字に書き起こすと
うまく書けなかったり
思っていたものと違ったりする。
そしてグルグル悩む。

小説を書くことは
作曲家が記譜するのと同じ気がする。

恩田陸さんの『蜜蜂と遠雷』のスピンオフ短編作品集『祝祭と予感』を読んでそう思うようになった。

『蜜蜂と遠雷』にも登場した作曲家・菱沼忠明が『祝祭と予感』のエピソードの中で語っている内容がとても印象的だったから。

“楽譜というのは、音楽という言語の翻訳であり、そのイメージの最大公約数でしかない。演奏者はその最大公約数から作曲家が考えた元のイメージを推測するわけだが、決して外国語の翻訳が元々の意味と完全に一致することがないのと同様、作曲家のイメージと違って当然なのだ。
だかしかし、脳内のイメージに近く演奏できるような記譜のテクニックは存在する。それを学ぶのだ。”

恩田陸『祝祭と予感』/「袈裟と鞦韆」より

イメージの最大公約数!

ここを読んだとき衝撃でした。
目から鱗っ!
そしてこんな表現を思いつくなんて凄すぎ。

この先、小説を書こうとして
うまく書けないとき
私はきっとこの文章を何度も思い出すんだろうな。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?