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俳句メモ|切字「や」の使い方

切字の「や」

感嘆の表現・場面転換。

というのはプレバトで知ったのですが
それ以上どう使えばいいのか分からないままでした。

が、

岸本尚毅先生が詳しく解説をしてくれていました!

取り合わせ
切字の効果
上五で使われている場合
中七で使われている場合
同じ句で「や」を使った場合と使わない場合
詠嘆の意図
など

めちゃくちゃ勉強になります✨

岸本先生、ありがとうございます!!😆


〈追記〉


〈追記〉




そして

夏井いつき先生のYouTubeチャンネルにも「や」の解説が✨

『【3月の正岡子規】上五の「や」について学びましょう』


↓こちら、助詞を変えて映像がどう変わるのかが解説されています。
「や」にした場合もあったので貼付。



俳句は型やルールがあるものの、正解はなく、作者が何を描きたいか?が最後の決め手なんですね。

クラシックバレエのパントマイムという型も、観客に伝わりやすくするためのもの。ということを聞いた(読んだ)ことがあります。

能も同じ型でも演ずる役者によって様々で、型があるからこそ個性が浮かび上がるんだとか。

「形無し」より「型破り」の方がカッコいい。

そう思うようになったのは以前、
歌舞伎役者さんがTVで話していたことが影響しています。

(どなたが話していたのか覚えてないのですが、
見つけた記事を読むと勘三郎さんが出ていた番組を観たのか、
その話を別の役者さんが話していたのを観たのでしょう。)

❞早速、先代の勘三郎(父親)に直訴したところ「百年早い。そんなことを考えている間に百回稽古しろ」と言われてしまった。
しかし当時の勘九郎にはまったく理解ができずにモヤモヤしていたという。
 
 そんな折、たまたまラジオから流れてきた、子ども電話相談番組で「型破りと形無しの違いはなんですか?」と質問があり、
回答者の無着成恭(僧侶で教育者)がこう答えた。 〝そりゃあんた、型がある人間が型を破ると「型破り」、型がない人間が型を破ったら「形無し」ですよ〟
勘三郎は「 あっこれだ!」と先代の教えの意味を理解した。❞


【引用元】
中村勘三郎-「型破り」と「形無し」の話/アメブロ 若松若水「紙風船」より
型がある人間が型を破ると「型破り」、 型がない人間が型を破ったら「形無し」/ゆにおん・ネタ帳 より


型を破るには型を知らなければ(会得しなければ)ならないですね。

型を知らないからこそ生まれる新しい発想もありそうですが
やはり基礎があると深みが増すのでしょう。

新しい発想も、実はもう何十年も前に誰かが思いついていたものだった。
なんて話も、誰かしていたような。
(いつもうろ覚えだからあまり説得力がない私の雑学w)

人間、大抵、自分の中にあるものは他からの影響を受けているものです。

人間が思いつくものに大差はないということ。

個性というものは、基礎などの土台に経験・知識・分析力などの肉が付き、最後の皮一枚それのことかもしれない。

どんな世界でもプロとよばれる人は、その皮一枚の自分らしさを保ちつつも、常に新陳代謝し、進化できる人たちなのだろう。

ん?俳句の切字の解説メモからなぜか個性という話に。
最近、小説や俳句の個性についてぼんやりと考えていたからかな。

俳句での個性という話ならば
夏井いつき先生が「俳句ポスト365」で教えて下さっていました。

◆類想との付き合い方
 毎回の述べていることですが、 類想は「共感の土台」でもあります。
類想を類想のまま十七音にすれば、当然、凡人ということになりますが、「共感の土台」の上に、五音分のオリジナリティ、リアリティをどう盛り付けるか。そこが勝負所なのです。
 毎回の、特選・秀逸には、類想を「共感の土台」として、見事な独自性や真実味を加味した作品が並んでいます。
 自分の句がどのランクであったということばかりに一喜一憂するのではなく、他人の作品から何を学ぶのかが、重要。仲間の作品から学ぶという謙虚こそが、俳句上達のための「奥の近道」なのです。

【俳句ポスト365】選者のコメントより

これは、小説を書くときにも有効そう。

そういえば、小説家で俳句も詠む方が結構いらっしゃるということを最近知り、こんな本を発見。
今の私が読んで理解できるか?と購入してませんが忘れないように貼付。
もっと俳句を勉強したら読んでみたいな。





※切字「や」についての解説を発見したら追記していきます。

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