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自分が嫌いだという人



よく自分の事が嫌いだという人がいるけれど、違うと思う。




自分探しの旅に出る、なんてこの世で1番理解できない言葉である。私にとって自分というものは旅に出たところで新しく見えてくるものでは無くきづいたらそこに"ある"ものだ。


自分とは、わたしとって、例えたら川の水中に転がる石に似ている。
ただ静かにそこにあって、流れてくる水に削られおのおの形を変えていくけれど、私にとって自分というものはまさにそのイメージだ。自分はただいつもそこにあって、勝手に流れこんでくる出来事や事件に削られ、気づいたら今の形になっている。


誰にだって名前があるけれど、チーム名みたいなものだと思っている。
人は絶対に自分ではない誰かからの影響を受けている。その影響で考えが変わり、行動が変わり、人柄が変わる、と考えたら、私なんていうものは私1人でなんかが作り上げたものでは無くて、私じゃない数え切れないほどの誰かが作り上げたものなのである。 




よく自分が嫌いだという人がいるけれど、あなたのせいじゃないと思う。悪いのは、あなたにそう思わせてしまう周囲の人間なのではないだろうか。


私も昔、自分のことが心底好きじゃない時があった。けど振り返ってみたらその時って、周りに私を否定する人が多かった時期のような気がする。


それを踏まえた上で、今、私は結構自分のことが好きだ。
私は自分を形成していった出来事や人々に、割と愛情や感謝を持っている。散々私を傷つけたあの人達だって、その時は呪うほど嫌っていたけれど、過ぎてみればその傷跡も案外気に入っている。他の人にはない、私だけのたった一つの傷跡だ。

傷跡は戦った証拠だ。
戦うということは自分の意思があるということだ。
何の傷もないつるりとした石の方が人々は羨むし高い値打ちをつけるけれど、傷のない石を目指そうとすると、なんというかキリがない。
綺麗な石はゴロゴロと転がっている。
自分より綺麗な石があれば、みんなそっちの方に飛び移ってしまう。
だったら私は、自分が好きな、自分だけの形をした石になりたい。

綺麗事に聞こえるかもしれないけれど、本当にそう思えるのだ。


自分の感情は自分だけのものだし
私の人生は他の誰かに体験できるようなものじゃない。
だったらやっぱり、誰にも渡したくない。
残る傷跡は愛情深い方がいいから、付き合う人だけ気をつけたら、いつのまにか自分のことを好きになっているんじゃないのかな。



自分を好きになりたいなら自分を変えようとするのでは無くて、環境や付き合う人を変えてみたら意外と好きになれるかもよ、という長いお話でした。


〜完〜

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