見出し画像

日本で無名なナチス高官たち


・前置き

ナチス高官というと、アドルフ・ヒトラーを筆頭にハインリヒ・ヒムラー、ヨーゼフ・ゲッベルス、ヘルマン・ゲーリングが最も有名だろう。

しかし彼らは、誰一人としてニュルンベルク裁判では裁かれていない。
というのも、全員が自殺したためである。

ヒトラーは愛犬、エーファ・ブラウンとともに1945年4月29〜30日頃に拳銃自殺。

その翌日、ゲッベルスは遺言に従わず、一家心中。

ヒムラーは暫く逃げるも捕まり、1945年5月23日、取調べ中に青酸カリで自殺。

ゲーリングはニュルンベルク裁判で全て有罪、死刑判決が出た後に「私は軍人らしく銃殺刑で死にたい」と申し出たが却下され、1946年10月15日に服毒自殺した。
毒は看守に持ってこさせたらしい。彼らしい最期と言える。


日本では無名なナチス高官

・ハンス・フランク

写真の右から二番目の人が、ハンス・フランク。

元々はナチ党の弁護士として活動していたが、やがて出世。
第二次大戦の最中には、ポーランド総督を任された相当な戦犯である。

にも関わらず、あまり有名ではない理由はアウシュビッツ等の絶滅収容所のためだろうか。

彼は配給制を採用し、ユダヤ人にはとても生きていけない程の食事しか与えない、他の人も食事としては少ない配給しか行わないなど、徹底して人道に対する罪を犯した。

ニュルンベルク裁判にて絞首刑。


・カール・デーニッツ

ドイツ軍の海軍司令官に当たる大物であり、ヒトラーが自殺した後、大統領として無条件降伏にサインしたのは他でもない、デーニッツである。

ヒトラーが遺言で指名した後継者はゲッベルスだったが、「ナチス・ドイツ最後の大統領」は彼である。

デーニッツはニュルンベルク裁判において、禁固10年と軽い刑だったものの、実際はUボートの運用、潜水艦の運用、囚人を奴隷のように使うなどの戦犯をしており、「あまりにも軽い」と後世では評価されている。

1980年没。


・アルフレート・ローゼンベルク

ゲッベルス同様、作家としても活動しており、担当はプロパガンダだが、彼の場合は毛色が全く異なる。

論理的、信仰心を捨て去ったゲッベルスとは異なり、彼は神秘主義者であり、オカルト主義であり、極めて独特な宗教観を持っている。

ゲルマン民族至上主義者であり、彼の最も有名な著者「二十世紀の神話」はそれが顕著にあらわれている。

ニュルンベルク裁判にて絞首刑。


・アルベルト・シュペーア

ヒトラーが特にお気に入りだったと言われる建築士。

党大会会場のデザイン、ヒトラーの別荘の一部デザインなどを手掛け、第三帝国のデザインも任された有能な建築士にして軍需大臣も任された。

囚人を奴隷のように使って設備投資にかかる費用を節約するなど、その冷酷な手腕を発揮した。

ニュルンベルク裁判では上手く立ち回り、禁固20年の刑に処され、後に回想録を出版している。
後に「刑が軽い」と評価されている。

しかし出所後、家族との関係は冷え切っており、彼の最期を看取ったのは愛人であった。
1981年没。


参考資料番組

・ナチスの素顔シリーズ
・ヒトラー帝国の黒幕たちシリーズ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?