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『考えないようにする』で考えたいこと


こんにちは。
今回は乃木坂46の『考えないようにする』を考えていきます。
主には「何を考えないようにするのか」になります。




私だけが抱える三角関係


この曲メインの構成要素である三角関係について、歌詞を整理します。

付き合ってるって知らなかった

親友の彼と私たちと
一緒に居るその時間だけで充分幸せだった

好きにはなっちゃいけない人
あの時自分で決めたのにあなたの事ばかり
いつも考えてしまう

3人で過ごす中で、うち2人が付き合う

それを知ったうえで、どうしても「あなた」が好き

という三角関係が示された上に

人は頭ではなく心で生きているものでしょう
考えないようにするって 苦しい 苦しい 苦しい

と続きます。
つまり「あなた」への気持ちは胸に秘めようとしつつ、その苦しみはちゃんと感じている。そういった歌詞になっています。


ロダンの『地獄の門』

『考える人』は『地獄の門』という作品の一部だそうです。

想いは門の奥に封印し、“考えないようにする“。

門を開いた先には地獄(3人の関係の破滅)がある。

ということを言いたかったのでは、と思います。
それにしてもぴたりと洒落た舞台演出ですね。

『考える人』は元々地獄に墜ちた人を見下ろす人(『地獄の門』のパーツ)で、別に考える人として作られていないという説もあります。考える人が居るのは門の内側だったんですね…。

似合いのカップルだよねって
友を祝ってあげられたらいい
醜くはなりたくない


それでもそばにいさせて
何も考えないでいるから

何を考えてはいけないのか?
→「あなた」と自分が結ばれていた世界線

出会いがもし早かったら
逆の立場だったのでしょうか

→あるいは、「あなた」を友から奪うこと


ポイントは「奪わなければいい」ではなく、「考える時点で罪である」という意識が存在すること。


葉っぱの歌詞上の役割


正直初見では冒頭「意味深なセリフ」で入り「美しい感じの情景描写」という乃木坂あるあるかなと思っていました。
しかし曲のメッセージにしっかり関連して解釈できる余地があったのでまとめます。

葉っぱ一枚太陽に透かして
その入り組んだような葉脈が美しい
植物だって話したり聞いてると
そんな仮説を立てた本を読んだ気がする

ここは二人に"私“の胸の内がいつ見透かされるか、後ろめたさを感じながら過ごしている様子を暗示しているのだと解釈しました。
なので"行動に起こすか"ではなく、考えた時点で罪という構造になります。

ここ3行目、池田瑛紗パートなんですよね…



「入り組んだ葉脈」は複雑な心情や事情、それでいてそれ自体が血肉であり生命線であるような印象を受けます。

風に舞うその一枚の葉っぱは
舗道の地面どこに着地するのでしょうか?
この世界に生まれてきた理由なんて
思い浮かべはしないけどきっと導かれてる

モチーフと世界観も相まって、キリスト教的預定・決定論を感じます。

ざっくり言うと(FF諸氏に咎められそうですが)

予定(預定)説⇒神が救うか救わないかは、お祈りしてもしなくても変わらない

決定論(関連としてラプラスの悪魔を挙げておきます)⇒(その場での気分みたいなものを含め、)物理的にこの先起こることは決まっていて変わりようがない。つまり人間の意志、気分、自然災害などの"偶然“は全て物理的に必然である。


葉っぱが落ちる位置は風向き、質量、"偶々"通りかかった車など含め物理的に決定している。

では"私"という葉っぱはどこに導かれるのか。『地獄の門』の内側かはたまた外側か?

それはきっともう分かっているけど、『考えないようにする』んだと思います。



純粋な曲単体としては、ここまで書いたことがキーで作品の一番やりたいことだと思います。本当に構築の完成度が高く、MVや歌唱などの他要素も隙なく作り込まれた稀有な作品に仕上がっている……。









------ここからおまけ------

百合曲としての『考えないようにする』


おまけなので少し荒くなります。まぁ平常運転ですが(世界観に押され畏まってたオタク)。

※性自認・性対象・生物学的性のパターンだけでもツッコミが止まない言いようになってしまいますが、平成以前の"普通"を基準に歌詞や映像を見直し「百合」っぽさを整理しています。悪しからず。

神宮1日目(今思い返せばこの日が唯一のチャンスだった訳ですが…)の昼、会場でこの曲の音漏れを連番と聴いたのをきっかけに話が弾み「百合なのか?百合ではないのか?」で盛り上がりました。

自分は「別に百合とは限らない」派なのを前提としつつ、女性アイドルソング+ほぼ言い逃れできないMVの構成という文脈を加味し百合としての『考えないようにする』も面白いと思ったので纏めます。

女性しかいないグループで恋愛曲をやると、歌詞は別に"普通"なのに百合っぽくなる現象は一般に起こります。
じゃあ男の役者を出せばいいじゃん」というのは、ほぼ確でメンバーの恋人役になる男性が出るわけで、それを許せないファン心理に封殺されがちです。

例:想わせぶりっこ

ん…?


誰だよオマエ


エーーーーー!?

本noteで初めてピンクの画像が出ました。『考えないようにする』でやることじゃあないよほんと…。
チョコレートメランコリーでもありましたね。

例2:マシュマロフロート

良い横顔だ

男役をメンバーに任せることで「お前なら…いい」にしてこの戦争を終わらせるタイプが例2になります(個人的には 女が女と恋愛しないといつから錯覚していた?と思いますが…)。 
ノイミーはこのへん保守的ですね。

女子校的な空間を作り出せればそれで良い乃木坂とは違い、時に恋愛もする武闘派のキュート社会人が共感し手本とするストーリーを描くには男女の役割が必要なわけです。
これは百合とは違う(物理的に女の子が並ぶが、ジェンダー=性役割的には女の子同士ではない)という認識です。


『考えないようにする』に戻しますが、歌詞で性別が確定するのは以下ぐらいです。

付き合ってるって知らなかった
親友の彼と私達と

彼と彼女 目が合う度さりげなく微笑んでたこと

私:性別不明
私の親友である、彼:男性
彼の恋人である、親友:女性

最もストレート(ダブルミーニング)に読むと、私は女性、親友も女性、私⇒彼 という片想いソングになります。


さて、ここで違和感のある方も多いのではないでしょうか。連番さんもそうでした。
というのも、MVの描写があまりにも百合的なため

私:女性
親友:女性
彼:男性

私⇒親友

という風に第一印象を構築する人が多い。

2人は私には眩しすぎる…

出演が全員女性なので、片思いする方もされる方も女…?というビジュアルイメージが勝手に入ってくるんですよね。女性アイドルなので当然なのですが…。
分かりやすい彼役が不在なのも、私⇒彼の発想を浮かびにくくさせています。


百合パターンで意味合いが変わってくる歌詞がいくつかあるので、纏めます。

①同性愛はキリスト教上のsinである

上記葉っぱの話で記載した「罪の意識」は親友への裏切りのようなニュアンス 拡大解釈しても色欲に対してでしたが、同性愛者であるとするなら重ねて「自分は異性より同性を好きになる人間だ」ということが重くのしかかっているように見えてきます。

"普通"であれば異性との幸せに導かれるはずの葉っぱが、舗道の地面に着地する。。。

②好きにはなっちゃいけない人

割と①が全てではあるのですが、これも「親友の恋人を好きになるなんて」から「同性を好きになるなんて」に捉える余地が出ます。人は頭ではなく心で生きていくものでしょう??

出会いがもしも早かったら逆の立場だったのでしょうか

これは私⇒同性の親友とすると読みとして苦しくなるという意味であえてリストしました。
ストレートに読むと「彼の恋人が、親友じゃなくて私だったかも」なんですが、私が男の子とも付き合う感じだとしても親友は「逆の立場(同性愛の苦悩を背負う)」にはなりません。

むりくりな解釈ですが
私と彼が付き合う→親友が彼のことを好きになる
という順だと、友情への罪という意味で逆の立場になります。


何はともあれ、「生まれついての自分の性分の異端さに思い悩む」キャラという造形がどうしても好きになってしまう。性的指向に限らず、トガヒミコとか星野アイとか伏黒甚爾とか……。


色々書きましたが、「同性愛者が地獄の門の前で踊る」と読まれてもおかしくない描写をこうも堂々と、作品として出せるようになったのは寧ろ皆が「何が罪か?」真剣に考える時代になったからだと思います。別に異端者は裁かれるべきという話ではない(し、それが伝わる時代になった)。

葉っぱの葉脈が各々異なるように、みんなそれぞれ違いがあるでしょう?
皆地獄の門の内側を見つめているのかもしれない。





実質『考えないようにする』選手権


おまけ2です。更にギアを上げた平常運転をお届けします。ネタバレ注意。



・アルミン・アルレルト(進撃の巨人)

進撃の巨人 137話


あれは夕暮れ時
丘にある木に向って三人で… かけっこをした

言い出しっぺのエレンがいきなりかけだして…
ミカサはあえてエレンの後ろを走った…
やっぱり僕はドベで…

きっかけは連番さんと『考えないようにする』は百合か を話していたとき、自分が「歌詞としては別に男2女1でもいい(薔薇)」と言った際に、

アルミンがミカサを好きになっていたらかなり近かったのでは

と発言したことになります。

自分の中で『考えないようにする』の3人は幼なじみというか、中高一貫の高2ぐらいで恋愛的な転機が来るようなイメージでした。
まぁ進撃の巨人は「似合いのカップルだよね」でしっかり祝える話でしたが。


しかしよくよくアルミン軸で聴いてみると本編でもめちゃくちゃ合うやんけ……。

・アニも「好きにはなってはいけない人」である
・友人枠としてベルトルトが入る
・考えるのが仕事の人が「考えないようにする」からそばに居させてくれという重さ



海だ……!



この怪文書、役立つ日来るんだ……。
なんというかセンターをやるには正直必然性が薄いかなとも思っていたのですが、ベルトルトのように他人の意見を重視する、アルミンのように考えに考え抜いてようやく力を使う選択をする といった必然性はむしろ高いんですよね。冨里奈央という人…。



逆の立場だったのでしょうか

門の外↔門の内 での立場。視点の違い。



でも… 僕にとってこれは…
増えるために必要でも何でもないけど…
すごく大切なものなんですよ

愛は増えることとは関係なかったりする。


2023/12/6追記


新参者、良かったです…。



他NARUTOより
・うちはイタチ
・うちはオビト(はたけカカシ)
がエントリーしておりましたが、綺麗にまとめる力が自分にありませんでした。木ノ葉隠れの里よ……。
優勝はアルミンとさせてください。


これは余談レベルで良いのですが「葉っぱ一枚太陽に透かしてその入り組んだ葉脈が美しい」の、ちょっと周りと違う自分を葉脈の複雑さに例えた表現でサウザーを連想しました(何で??)。

というのもこの世には内臓逆位という現象があり、北斗の拳に登場するサウザーもその1人です。それを元ネタにした論文が出たというエピソードが強烈に頭に残っており、「内臓が反転する人間がいるぐらいなんだから、女の子を好きな女の子ぐらい普通に居るだろ!!!」となりました。
(まぁ実際は後天的な要因があると思いますが)


考えるゆえに人は苦しまねばならぬ!! 考えるゆえに人は悲しまねばならぬ!!







以上になります。久方ぶりの名曲だった……。
おわり


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