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No.1の“ 死 ”

私は職業柄、多くの方の最期をみおくってきました。
今でこそグループホームですから、皆さん高齢で大往生な方ばかりですが、病院で働いていた時は若くして病気を患い最期を迎える方も多くおられ、みおくってきました。

色々な方の最期をみおくってきて感じたことは、死をもってその人が生きてきた生き様が見える。
とゆーことでしょうか。
終わりよければ全てよし。ではないですが、その方がどのような人生を送ってきたのか。
死が訪れた時ハッキリとわかります。

多くの人に見守られながら最期を迎えるのか?
一人寂しく最期を迎えるのか?
そして、その後の儀式。
お葬式の様子。どんなお葬式だったのか。
本当にその人が歩いた人生がでます。

私は人の死に対して、言い方は悪いかもしれませんが、慣れてしまいました。多くの方達をみおくり、死は必ず訪れ、色々な死がある。
多くの死を体験してきたので慣れてしまったようです。
もちろん、悲しいな、寂しいな。という感情はありますよ。
ただ、そこまで崩れないといいますか、引きずらないといいますか。


私の中でのNo.1

それは父の死です。
父52歳、私18歳、母43歳、一番下の妹は7歳。
若すぎる死でした。

父は生前から人情深く、困っている人がいるとなにかと手を貸したり、出来ることをいそいそとやる。そんな人でした。
親戚知人に心を配り、いつも細々と動き働いている人でした。
そんな父の姿を思い出すようになったのは父が亡くなってからでした。
18歳といえば思春期。男親とどー接していいのか戸惑う時期。
心配はしているけど、素直に言葉や態度に表せませんでした。
今思うともっとしてあげられることがあったはずだと思います。

そんな父がいよいよ危ないという状態になり、父の兄弟姉妹が集まりました。
2人部屋だったのですが、病院のお計らいで1人部屋扱いにして下さいました。
息を引き取る時、「ありがとう」と言ったようにみえました。
そして、父の大好きだった巨人の星の歌を兄弟姉妹で病室で歌い、みおくったのです。

父は神奈川の出身でしたが、母と結婚し北海道に住みました。私達兄弟姉妹は北海道で産まれ育ちました。
父は奈良の病院で最期を迎えました。
そんなこともあり、亡くなったあと、奈良で葬儀を行い、北海道へ帰る途中、神奈川で葬儀をし、北海道へ戻ってからも葬儀をしました。
計3回葬式をしています。(笑)
そして、全ての葬儀に多くの人が来て下さり、声をかけ、涙を流し、懐かしがってくれたのでした。

まだまだ子供だった18歳の私は周りが準備してくれるがまま葬式に参列しました。

しかし、時が経つにつれ、大人になるにつれ、それがいかに凄いことだったのか。
父がいかに周りを愛し、周りに愛されたのかを感じることになったのです。

これが私の中での“死”のNo.1です。

父の死の後も何人もみおくってきましたが、未だに父に適う死に立ち会ったことはありません。

これからもないかもしれませんね。

自分が死ぬ時は父のような凄い事にはならないのはハッキリわかります。
ただ、生かされてる今、今をしっかり生きなければな。と思います。


最後まで読んでくださりありがとうございました。m(_ _)m

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