不純異性交談 #4 「ゴールデンウィークが終わっちゃった!」

     ◆

「ゴールデンウィークが終わっちゃったよ~~~!!!」
 彼はとてつもない恐怖を覚えた。その日ベンチに座していたのは、すでにぐでんぐでんに酔っぱらった桂と、中身が三分の一ほど空いたワインのボトルだったからだ。まさか自分が到着する前からこんな人目につく場所で飲んでいたのだろうか。彼は今すぐ逃げ出したい気持ちに駆られた。
「めぐちゃ~~~ん!!! 早くこっち来て~~~!!!」
「わかりましたから、あんまり大声で叫ばないでください」
 自分まで不審者扱いされることはなんとしても避けたかった彼はすたすたとベンチに駆け寄り、急いで着座する。ようやく奇声をやめた彼女は、勢いよくボトルを掴み、ぐっとラッパ飲みをして
「くぁ~~~!!!」
 と叫んだ。
「私のゴールデンウィークが、終わってしまった。次の祝日は7月22日の海の日。2ヶ月近くある。日本にはもっと祝うべき日がたくさんあるはずでしょ……」
「確かに6月は1日も祝日がないですもんね。梅雨も相まって毎年どんよりとした気分になっちゃいます」
「めぐちゃんはゴールデンウィーク何してた?」 
「苗字で呼んでくださいって言ってるでしょう……。特に変わったことはしてませんよ。こんなご時世ですからあんまり家から出れませんでしたし」
 実際彼は母親に頼まれたおつかいやちょっとしたコンビニへの買い物程度でしか家を出ることはなく、あとは部屋でずっと新作アニメの配信を見続けていた。まったく不健康極まりないなと内心自嘲気味だった。
「でもそういえば、木曜日と金曜日は休みじゃなかったんですよ。久しぶりに学校に登校しました」
「おっ。オンライン越しじゃないリアルJKにときめいちゃったか?」
「別にそんなことはないですけど。確かにみんないつもの三割増しでかっこよく、あるいは可愛く見えたような気がします。人間味があるというか、みんな本当に生きてるんだなって実感がありました」
「コロナ世代は悲しいね。私はこの通りちゃんと生きてるよ!」
「今にも死にそうな飲み方しておいて……」
 私の肝臓はサッチャーよりも鋼鉄で舩坂弘よりも不死身だから大丈夫なんだよ! と訳のわからないことをほざきながら、桂はボトルに口づけ底面を夜空にひっくり返す。

     ◆

「桂さんはこのゴールデンウィーク何をしていたんですか」
「私もさ、会社の規定で旅行とかできなくてさ、結局実家に帰るだけだったな」
「……ご家族のこと、あんまり得意じゃないって言ってませんでしたっけ」
「よく覚えてるね」
 先ほどとは打って変わって消極的に、ぎりぎり中身が口の中に入ってくるような浅い角度で桂はワインを飲んだ。
「ぷはぁ……これもまあ、罰みたいなものだよ。ビールよりもずっと重い罰。明日はきっとひどい二日酔いだろうなあ。そろそろ周期的に生理も来るんだよ。いっぺんに来たらどうしよう」
「……なんでそんな地獄めぐりみたいなことを」
「家族相手に愛想を振りまくって、やっぱり難しいね」
 会社ではうまくやれてるんだけどなあと、彼女は悲痛そうに漏らした。
「どうしてそんなに家族が嫌いなんですか」
「単純に性格が合わないだけなんだよね。両親とも公務員で、妹も銀行に勤めて、すごくお硬い性格というか。私だけ突然変異のように自由奔放だからさ。深夜の公園でボトルを空けようものなら大目玉だよ。年甲斐もないとか言われてさ」
 姉も大学のサークルで相当飲み散らかしているらしいことを彼は思い出した。姉が朝帰りするたびに母親は頭を抱えて「あんたはあの子みたいになるんじゃないよ」と彼に言っていた。彼は姉のそういった行いが改正されることをとうに諦めていたが、親としてはやはり気が気でないのだろう。奇しくもそうした姉と親しい考え方の桂に、彼は妙な親近感を覚えた。
「清く正しくいることだけが人生じゃないですよね。そんなおもしろみのない毎日じゃ退屈です」
「そうなんだよ! めぐちゃんもわかってるねえ。さすが補導も恐れず素性も知れない一回りも上の女と深夜の公園で逢瀬を重ねているだけあるわ」
「僕のほうが悪い子みたいじゃないですか」
 そうかもねえ、とケラケラ笑いながらワインを呷る桂。そのボトルは先程よりもずっと深い角度になっていた。

     ◆

 依然としてかのウイルスの猛威は凄まじく、彼は今夜もマスクをして素顔を隠したままだった。そんな彼の顔を見て、桂は笑いながら語りかける。
「来年のゴールデンウィークはどんなことがしたい?」
「そうですね……やっぱり旅行がしたいですね。それが長期休暇の醍醐味というところもありますし」
「意外とアクティブなんだね」
「桂さんは何がしたいですか?」
「そんなの決まってるじゃん」
 桂はいつの間にか空になったワインボトルを右手でゆらゆらと揺らす。
「めぐちゃんと、素顔を晒して、サシ飲みしたいよ!」
「……来年も僕は未成年なんですけど」
「今は私がべらべら喋っているからめぐちゃんにはマスクをしてもらうしかないんだけどね。お酒じゃなくてもいい。とにかくめぐちゃんの素顔が見たい! 来年もずっとめぐちゃんと仲良くしていたい!」
「それは……僕も同じですよ」
 マスクの裏に浮かべている心からの笑顔が彼女に伝わっているだろうかと彼は不安だったが、それは桂にしっかり伝わっているようであった。彼女はけらけらと笑っていた。彼は攻めの一手を打つ。
「願わくば、桂さんとどこかに旅行に行きたいですね。ゆっくりのんびりしたいです」
「うわあ~~~めぐちゃんのえっち~~~!!!」
 どうせ私の体目当てなんでしょ~と、両手で自分の体を抱くような仕草をしながら身をくねくねと揺らせる。そんなつもりじゃないですよと言おうものならさらに何かを言われそうであったし、そんなつもりじゃないとも彼は言い切れなかった。思春期特有のめんどくさい感情は桂のいじりさえも楽しんでいた。

     ◆

「今夜もお開き!」
 さすがに桂も遠慮したのか、今日はボトルをゴミ箱に捨てず通勤用のかばんに突っ込んだ。当然チャックは閉まらず、口からボトルの先が飛び出す形になる。その姿で帰ることに抵抗はないのだろうかと彼は思った。
 潮目公園の出口で相変わらず二人は別れを惜しみ立ち止まる。一晩でボトルを一本空けた彼女は、その夜とにかく酔っぱらっていた。
「私は本当にめぐちゃんのことが大好きなんだよ」
「……ずいぶんと直接的ですね」
「旅行も行こうよ。箱根でも鎌倉でも、横浜でも川崎でもさ」
「なぜ神奈川限定? というか川崎って旅行しにいく場所ですか?」
 そう言いながらも、彼の頭には桂と旅行する情景が浮かぶ。箱根神社の湖面に浮かぶ赤い鳥居や、鎌倉大仏の前でツーショットを撮る二人の情景が。
「でも、本当にそうなったらいいですね。沖縄でも北海道でも、どこでもついていきますよ。桂さんとなら」
「えへへえ~」
 桂も頭の中で二人で旅行している妄想をしているのか、体をくゆらせながらにんまりと笑顔を浮かべた。しかしふと急に思い出したかのように、彼女は彼を見つめ直す。
「めぐちゃんは私のこと大好きだね?」
「……僕、今素面なんですよね」
「めぐちゃんは! 私のことが大好きなのかな!?」
 私は言ったんだけどなあと桂は甘えた声で言う。彼は数秒逡巡した後、覚悟を決めて、まるで刺し殺すかのように、あえてどすを聞かせた低い声で、背伸びをして彼女の耳元に近寄って言うのであった。
「……大好きですよ」
「うきゃあ~~~!!! 嬉しい~~~!!!」
 満面の笑みを浮かべる桂を見て彼もまた嬉しくなったが、しかし彼女は酔った勢いで、続けて彼が最も聞きたくなかった言葉を言うのであった。
「そんなことあいつからももう久しく言われてないからな~~~」
「……えっ」
「……あっ。えっと、いや、その……じゃあ、今日はこの辺で!」
 そう言うと彼女はすたすたと月の浮かぶ方へ逃げ帰っていった。あとに残された彼の頭には不穏が渦巻く。彼女は、愛の言葉を囁いてくれそうな家族とは仲が悪いはずだ。じゃあ、あいつって誰だ。
 一人取り残された彼はしばらく呆然と立ち尽くしていた。春は日々その姿形を変える。彼にはその夜は異常に寒く感じられた。 

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