ずっと真夜中でいいのに。「蹴っ飛ばした毛布」感想 ~空白の歌詞について~

「潜潜ツアー(秋の味覚編)」と題して10月に行われる全国ツアーを目前に控えた9月26日、1stフルアルバム『潜潜話』に収録される新曲「蹴っ飛ばした毛布」のMVが公開された。
1年前に知って以来、ずっとドハマリしている“ずとまよ”だけれども、今回の曲で衝撃を受けたある歌詞について、雑感を記したいと思う。


「ずっと解決が 答えじゃないことが
苦しいの わかってるけど」

「ずっと解決が 答えじゃないことが
苦しいの ! わかってるけど」


ずとまよの魅力の一つに、特徴的な歌詞がある。独特な言語センスで紡がれた歌詞はその意味するところを解釈することが難しく、ファンの間では様々な考察が行われるほど。
個人的には曲と一対一で向き合いたいため、あまり他者の考察を読むことはほとんど無いのだけれど、今回の主眼は少し異なる。

上で引用したのは1番と2番のサビ冒頭の歌詞だが、2番では「!」が加えられている。これによって耳で聞いてもその違いには気付かないが、1番と2番で意味が微妙に変わっているという技巧が施されている。このような同音異字はずとまよ曲では散見され、「正義」のクライマックスに至っては「近づいて 遠のいて わかり合ってみたンダ」「地下着いて 問い解いて 笑いあってみタンダ」「チカヅイテ トーノイテ 巡り合っていたんだ」「チカヅイテ トーノイテ サングリアッテミタンダ」「チカヅイテ トーノイテ ワカリアッテミタンダ」「チカヅイテ トーノイ十 ワライアッテミタンダ」「チカヅイテ 十ー退イテ」「巡り合ってみたんだ」と怒濤の表記変えに圧倒される。

しかし今回衝撃を受けたのは「!」ではなく、その前に置かれた1文字分の空白スペースである。MV初見時、不自然にスペースが空いていることに気付いたがその時はたまたまかもしくは誤って空いてしまったのだろうと思った。しかしその後に歌詞を改めて見るとそこでも確かに空白があり、単なる間違いではなくあえて空けられているのだということが分かった。

「苦しいの!」ではなく「苦しいの !」

この空白に着目した時、ただ感嘆符を付けただけの主張ではなく、抑えて堪えようとして一瞬間が空いて、それでも漏れ出てしまった叫び、を感じた。そしてそれを詞ではなく空白という無で表現していることに衝撃を受け、戦慄した。

曲を「聴く」だけでは分からなくて、詞を「読む」だけでは飛ばしてしまって、歌詞を「見る」ことで初めて気付く空白。小説ではともすれば打ち間違いとも取られかねないたった全角1文字分の「無」に、無限の意味が見出すことができる。

本来歌い上げられる歌詞に歌わない無を作り、そこから有を表現する。そのあまりのセンスに絶句。

この衝撃を忘れないためここに書き残すとともに、この感動が少しでも伝わることを願います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?