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破船 吉村昭 読書感想

貧しい村で暮らす伊作 父親は労働力として三年の間身売りされている。
細々と漁のみでは家族が身売りするしかない。
お船様が来れば村は潤う。
村人はお船様が来るようにと浜に火を焚いてそれを待っていた。

ものすごく貧しい村というのが伝わる描写。
お船様のもたらす恵がなければとても成り立たない。
伊作は母親から怠けるな、働けと厳しく当たられているが推測するかぎりまだ12・3歳くらいじゃないだろうか。
父親不在、幼い兄弟がいる為に長兄の伊作はすでにこの年でも舟を出し漁の仕事をして家族の食べる分を捕ってこなくてはいけない。
秋刀魚の捕り方は父親からまだ教わっておらず、一人だけ捕れずに悔しい思いをしている描写はかなりキツイ。
捕れなければ飢えるのみ。
現代なら義務教育中の伊作はすでに家族を食べさせなければという自覚がある。
まだ甘えたい部分もあるがそれは許されない。母親は長男だから厳しくしているのかと思ったら次男が海に出る年になった途端に同じ対応だからあれは大人の扱いをしているのか。

従兄の太吉は17歳にして結婚し、子供も持つくらいになっている。
伊作は好きな子がいるのだが村が貧しいままではその子はおそらく身売りされるだろうと考える。
戻って来てから結婚すれば良いというのは通じない。
嫁は労働力なので独身のままというのが許されない。
自由なんてない。
延々と閉ざされたような村にのしかかる絶望を見せつけられる。

お船様は想像通り村に流れ着いた船。火をたいてわざと誘導させて岩礁で破損させて積み荷を奪う。
そこに乗っていた人達はもちろん、想像通りの結果になる。
それをしなければ村は絶えていく。
恵というより略奪ではと思う。それが彼らにとってはこれが生きる手段。

と、ここまで読んで仕方ないんだなと思わせたところで登場するのが新たなお船様。
今までのものと違い乗っていたものは全員死んでいた。
いずれも赤い物を身に付けてなぜか柱に赤い猿の面がかけてある。

暗い海、貧しい村に赤いの物。絵画のような情景。
まるで何かを暗示しているようだ。

破船が書かれたのは昭和55年
それから時が流れ現代ではダイプリという記憶も新しいあの疫病を乗せた船が海を漂うとは。
船がなにかよくないものを乗せているイメージとして焼き付いていた。

貧しくてお船様無しでは生きていけなかった村
皮肉にも恵のお船様が厄災を運んで来て伊作にとっては悲しい結末になってしまった。

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