Angel Beats!を観た

私はそんなにアニメに詳しくないし、何回も見たわけではないので、伏線の解説や作品としての位置づけについては書かない。それよりも、シンプルに、この作品を見て自分が感じたことを書いていきたいと思う。

まず、この作品は改めて僕に生きがいというものを教えてくれた。死後の世界の話とはいえ、誰もがくるわけではない。ゆりっぺの解説によると理不尽な人生を送らされ、青春時代を満喫できなかった人がくる、という。そこで、ずっと頭にひっかかっていたのが、主人公の妹のことだ。彼女は体が悪く、ほぼ学校にも行ったことがない。そしてそのまま亡くなった。理不尽にも見えるが、彼女は回想としてしかでてこない。

そこで、死後の世界に来れた人の共通点を考えてみたところ、生きがいを享受できなかった人ではなく、ほかのだれかに与えることができなかった人ではないかと思った。主人公の音無結弦は、妹にありがとうの一言を言われるためだけに過ごしていた生活から一変、妹の死後は医師になるために励んでいた。生きがいを与えられていた存在が、今度は自分がみんなに生きがいを与えたいと思ったからではないだろうか。

他のキャラを見てもそうである。ゆりっぺにしても、強盗に妹を殺されたこと自体ではなく、妹たちを守れなかった自分を責めている。生きがいを与える自分を全うしたかったのではないだろうか。

このように、生きがいとは、人と人とが与え合うものであり、他人に与えることで人生になるということに改めて気付かされた。

そしてもう一つ。最終話にて、かなでが結弦のドナーで生き延びた人間であることを告げ、一生死後の世界で、みんなが迷わないように助けてあげようと言う主人公を拒否するシーンがある。なぜここで主人公がポンコツになってしまったのかという声もあるが、それも誰かの為と思えば、そんなにひっかかりはしない。むしろ、ここで1人旅立っていくかなでと、残される音無の構図が、人の一生をよく表していると私は思った。

どんなに愛し合っていても、2人では死ねない。死ぬときは誰も、1人なのだ。

最後の最後に、成仏して現実世界に戻ったと思われるかなで(ショートもいい!)が、結弦に声をかけられるシーンがある。現実世界で2人が出会える確率なんてほぼゼロに等しい。けれど2人が出会えたのは、ちゃんと1人ずつ、死後の世界で使命を全うしたからではないだろうか。

伴侶がいてもいなくても、あなたという人間は、1人だ。どれだけ沢山の人と過ごしてきても、1人で死んでいかなければならない。それはとても寂しいことだと思う。生きている途中にだって、そう感じることは多々ある。でも、いやだからこそ、自分が他の人に与えられることをきちんと与えて、自分という1人を全うして旅立っていけたら、幸せだと思う。