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23時55分の憂鬱

「眠れないの?」
 ぽつりと落とされた言葉に私はうん、と頷いた。
「こうしてね」
 きしりと音を立てる椅子の背もたれに身体を預けて笑う。笑えてると良いのだけれど。
「今、明日が来ようとしている訳だね」
「そうだね」
 向かいに座った彼女は真剣な顔で応えを返す。かちり。秒針の音がやけに大きく響いた。
「まさにあと何分かでね、明日が今日になるのさ」
 例えば。
 例えば、そのあと何分かは、私の手元の本の数ページ分かなのだろう。
 私たちの間に置かれたコーヒー何口分かなのだろう。
 知らない間に、私たちは今日と明日を跨いで行く。
「そういうことを考えてね、ふと、怖くなってさ」
「ふうん」
 あと数ページを読んだとして、あと何口かを喉奥に流し込んだとして。
 私は、本当に日々の境を跨げているのだろうか。
 昨日に取り残されてはいまいか。
「そう、考えてね、不安になった訳だよ」
「そっか」
 神妙な顔で頷いた彼女は、しかしくふりと笑声を喉の奥から零す。
「馬鹿らしいかな」
「違うよ、そうじゃない。でもね、大丈夫」
 くふくふ笑いながら彼女はこつり、こつりと机を指で叩く。
「もうね、君は飛び越えたから」
「え?」
 こつり、こつり。
「ほら、時計」
 ああ、と、私の口から間抜けな声が落ちた。
 規則正しく、時計は明日が今日になったことを雄弁に語っていた。
「だから、大丈夫だよ。君はね、思ったより飛び越えるの上手いよ、うん」
「そうかい?」
「うん。だから、コーヒーは諦めてもう寝よう」
「大丈夫」
 コーヒー、私あんまり効かないから。
 彼女は呆れたようにくふりと笑った。

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