見出し画像

「ルックバック(映画)」所感

※2019年の京都アニメーション事件、および東日本大震災についての言及があります。
※本文が不快に感じた方がいましたらご連絡ください


去年と今年は何度読み返したのかわからない漫画に、自分のいちばん好きなharuka nakamuraさんの音楽が乗る。それに押山清高さんが監督、という豪華な並び。

先に映画の小さな感想を述べておく。原作にかなり忠実な作品だったな、と感じた。創作者が自身の創作そのものを題材にする、というのはそれだけで特別な意味を持つと思うけれど、今回の原画の線を残したフィルムはそれを強くリスペクトした描かれ方だったように感じた。

最近はあまり上げていなかった作品所感を行い、この作品をわざわざ取り上げるのは以前の『キリエのうた』の感想と同様、現実の事件に即した創作についての関心が続いているからである。

東日本大震災を題材にした作品として、実写映画から『キリエのうた(2023年10月)』を、アニメ映画から『すずめの戸締り(2022年11月)』を、ライトノベルから『わたしはあなたの涙になりたい(2022年7月)』を上げてきたが、今回は漫画、ということで自分の関心媒体を全て網羅してしまったな、というような気がしている。

上記の東日本大震災を題材にした作品のリリース年数としては、全て実際の事件から10年以上が経過したのちに公開されたものである。サンプル数も少ないし完全に個人的な意見になるけれど、このおおよそ10年という年月は、この災害が大きな創作物になることを赦される冷却期間のようなものだと考えている。

痛ましい事件や災害には決して大小なんてないのだけれど、ある種の規模が上述した冷却期間との相関を持っているのではないか、というのは僕の個人的意見である。この肌感をある程度持っておかないと、実在の事件・災害を踏まえた作品の創作が誰かを傷つけかねない。そういう意味で、この点について考えることは必要であると感じている。

『ルックバック』の漫画がジャンプ+で公開されたのは、京都アニメーションの事件が起こってからちょうど二年後である。この二年という期間は事件に対する誠実な冷却期間であるようにも思えるし、少し時期尚早だったようにも感じる。(実際、ジャンプ+での一部の表現は後日修正されている。)
しかしこの時期尚早感こそが議論を呼ぶ、という側面もあり、やはり実在の事件を創作に重ねるのは諸刃の剣なのだな、と思う。

(例えばオウムだとどうだったのだろう?と考えてみたが、村上春樹さんの『アンダーグラウンド』くらいしか思いつかなかった。しかもあれは創作というよりはノンフィクションである。もう少し自分の生まれる前の時代について触れるべき時期かもしれない、と少し反省する。ちなみにオウムの事件は1995年3月であるのに対し、『アンダーグラウンド』の刊行日は1997年3月らしい。ルックバックと同様にほぼ二年である)

ところで、本作の映画パンフレットの中で藤本タツキ先生は「自分が東北芸術工科大学に入学した年に、ちょうど東日本大震災があった」という話をしている。本作は京都アニメーションの事件を踏まえているが、インスピレーションとしては東日本大震災とも無関係ではない。そういう意味でも、以前から考えている上記の作品群を引いておこうかな、と考えた次第だった。

今年の初めには能登半島で大きな地震が起こったことから、震災を題材にする作品は今後再び息を潜める可能性がある。2020年~2023年あたりのかなり限定的な時期のみが、これらのような震災に関わる創作があらわれる特異な期間だったのかもしれない、と思う。


(2024年6月29日 初稿)




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?