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演劇✖️形而上学 vol.1

ああ、ロミオ、ロミオ、どうしてあなたはロミオなの?

新訳 ロミオとジュリエット 河合祥一郎訳

ロミオとジュリエットの有名なセリフ。
おそらく演劇なんて観たことないという人も、
これはなんとなく聞いたことがある人も多いのではないでしょうか。

この何気ないセリフ、
形而上学を学んでいるとこのセリフの深淵さに触れることができます。

つまり「あなたは誰ですか?」ってことをジュリエットのセリフを通してシェイクスピアはわたしたちに問うているわけです。

そして有名な「おお、ロミオ、あなたはどうしてロミオなの」のセリフの後にはこう続きます

私の敵は、あなたの名前。
モンタギューでなくても、あなたはあなた。
モンタギューって何?手でもない、足でもない。
腕でも顔でも、人のどんな部分でもない。
ああ、何か別の名前にして!
名前がなんだというの?
バラと呼ばれるあの花は、ほかの名前で呼ぼうとも、甘い香りは変わらない。
だから、ロミオだって、ロミオと呼ばなくても、あの完璧なすばらしさを失いはしない。
ロミオ、その名を捨てて。
そんな名前は、あなたじゃない。
名前を捨てて私をとって。

新訳 ロミオとジュリエット 河合祥一郎訳

つまり「あなたは誰ですか?」の答えは「名前ではない」

もし「あなたは誰ですか?」と聞かれたら、
なんと答えますか?
もしくは「あなたは何ですか?」と聞かれたらどう答えますか?

ほとんどの人が名前を答えると思います。
職業を答えると思います。

でも、「あなたは誰?」の答えは名前ではない。職業でもない。
じゃあなんなんでしょう。
その答えはどうやって見つけるんでしょう。

形而上学はその「あなたは誰か」「あなたは何か」「人生の目的は何か」
について徹底的に向き合うツールです。

わたしはずっと、自分のアイデンティティが「女優」でした。
「女優」の仮面を被っているときは、人とコミニケーションが取れた。
でも素の自分は自身がなくて、素の自分で人と関わるのがとても苦痛だったのです。

だけど、ユニバーサルカバラという「わたしは誰か」に徹底的に向き合うクラスを通して、
「女優」じゃないと価値がないと思っていた、
しかもさらに「女優」として成功していないと価値がないと思っていた自分の間違った思い込みに気付き、
手放すことが出来たとき、
一つ「仮面」が剥がれて、
わたしは少しだけ「わたしは誰か」の答えに近づけた気がしたのです。

不思議なもので、ロミオとジュリエットが出会ったのは「仮面」舞踏会。
仮面を外して惹かれあった2人は、
名前という家柄が原因で一緒になることが出来ず、結局2人とも亡くなってしまいます。

本当の自分で生きられない、
名前や肩書きではなくスピリットの自分で生きられないなら、
わたしたちは本当の意味で生きていないのも同じだ、
ということをシェイクスピアは言いたかったのかもしれません。


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