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筑波嶺の峰より落つるみなの川恋ぞ積もりて淵となりぬる

陽成院

釣殿の皇女につかはしける

筑波嶺の峰より落つるみなの川恋ぞ積もりて淵となりぬる

(つくばねの みねよりおつる みなのがわ こいぞつもりて ふちとなりぬる)

 釣殿の皇女に詠んだ歌
筑波山のふたつの峰からみなの川へと落ち続ける流れは、やがて深い淵を作るのだった。淵は深すぎて底が見えなかった。それは私の恋の姿だったのかもしれない。多くの若い男と女がここで恋に溺れたように、私の胸はあなたへの恋心で溢れそうだ。私の妻になってくれないか。

筑波山…男体山と女体山というふたつの峰から成る山。古来、農閑期に歌垣が行われた地だったそう。歌垣は、若い男女の出会いの場で歌を詠みあったり、あるいは途中で抜け出して2人で過ごしたり。

筑波嶺の峰…嶺も峰も同じ意味なので、リズムを整えるための重語でしょう。

みなの川…水無乃川。ふたつの峰から流れる川の合流する川。やがて桜川に合流し、霞ヶ浦に流れ込む…とあるのですが、見たことがないから分からない。この歌を読んだ陽成院も見たことのない光景を読んでいるのだろう。自然の雄大な姿が想像されている。

陽成院と言えばあまり良い話がない方で、9歳で即位したものの行動に奇異なところがあり、果ては殺人事件に関与しているなどと言われ17歳で退位させられた天皇であるが、この歌を読む限りではとても心を病んでいる方だとは思えない。自らの胸に溢れる恋心を自然の光景になぞらえて歌いあげている、かなりのBIG LOVEの持ち主である。

彼の醜聞には政治が絡んでいるのだろう。陽成院の父は清和天皇。陽成院退位後の天皇は光孝天皇なので、系統がここで変わる。

歴史はよく分からないことが多い。
こんな歌をもらった釣殿の皇女は、光孝天皇の娘で宇多天皇の妹であった綏子内親王(すいしないしんのう)。陽成院の妃となった。
彼女が、父親の政敵(と言って良いのか分からないけれど、そのような立場にあたる人)のとにかく何らかの理由で在位から引き摺り下ろされた醜聞の天皇の妃になるなんてつじつまが合わないけれど、この歌をもらって妃になるのは当然だなと私は思うのである。

陽成院

出典 後撰和歌集、百人一首13番歌


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