見出し画像

陸奥のしのぶもぢずりたれゆゑに乱れそめにしわれならなくに

河原左大臣

陸奥のしのぶもぢずりたれゆゑに乱れそめにしわれならなくに

(みちのくの しのぶもじずり たれゆえに みだれそめにし われならなくに)

訳 こうやってひとりで自分の心と向き合っていますと、陸奥の国に伝わる信夫摺りの布模様を見ているようです。誰のために私の心はこんなにも乱れかけているのでしょうか。このような私は私ではない。いえ、分かっているのです。本当は気づいている。これが私なのだと。

陸奥…かつて存在した国名。現在の青森、岩手、宮城、福島。広い。

しのぶずり…信夫郡にあった乱れ模様の染め布。

たれ…誰

そめ…染めと初め

われならなくに…私ではないのに

河原左大臣は源融。
お住まいは、河原院。広大な敷地に陸奥国塩竈の風景を模して庭園を作り、尼崎から毎月海水を運んで塩焼きを楽しんだらしいが、何をしているのやら。跡地のごく一部に、渉成園(広いお庭である。茶会なども催されている)ができているので、この辺りに…と偲ぶことができる。
別邸栖霞観(せいかかん)は、嵯峨にあった。現在の清涼寺であり、ご生前の融をモデルに造立された阿弥陀三尊が祀られているので、このお姿が…と偲ぶことができる。
宇治の別邸は平等院なので、ああ…と偲ぶことができる。
至るところに源融の気配が残っている。
光源氏のモデルである。

イケメンの雰囲気漂うお歌である。
彼の心を乱した女性はどなたであったのだろう。うらやましい。

『伊勢物語』には、初冠したての男の子が自分の着物の一部をさっと切ってこの歌を書いて送ったとの驚愕エピソードが掲載されている。もちろんその着物の紋様が「しのぶずり」であった。イケメンは初回から成功エピソードしかないのか。

河原左大臣

出典 伊勢物語、新古今和歌集、百人一首14番歌

#百人一首 #百人一首ノート #百人一首全部書くシリーズ #百人一首を百首書こう #伊勢物語 #新古今和歌集 #河原左大臣 #源融 #源氏物語 #光源氏 #河原院 #渉成園 #清涼寺 #平等院

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?