怒りについて。
10年、15年以上前の話。
怒る事を知らなかった。
知らないわけではないが、その前に相手を理解しよう、そんな時もあるよねと物分かりのいい振りをしたり、怒ってもユーモアを交えて笑い話に変えがちだった。
とりあえず、ごめんね。と先に言おう。怒られる前に。
ある日、心屋仁之助さんのブログに出会い、怒ってもいい。というような記事を読んだ時、ハンマーで頭を殴られた様な衝撃だった。
え? 怒っていいの?
その場を乱す様な怒り、自分勝手で自分本意な感情。
怒り=悪
いつもニコニコ笑ってるね。と言われてたが、いつの間にか眉間にシワ寄せる事も増えていった。物に当たったり、家族に八つ当たりしてその理由も掴めないままモヤモヤする。
仕事を辞めた少し後、ある人に言われた。
本当にあなたなんでもできる人だと思ってだけど何にもできないんだね。本当に周りの人がいい人だったんだね。
私は新しい環境の中その人が正しさだと思っていたし、私はひたむきにその人から学ぶべきだと思っていた。
本当だ…その通り。私は何もできない…!
私はその人の意見を全面に受け入れた。
確かにいつも私は何故か人に恵まれて、大変なな仕事でも人にはとっても恵まれていつも沢山のサポートがそこにあった。
今まで人に恵まれてるのわたしの長所というか幸運だと思っていたが、それはコンプレックスになった。
でもそれって本当?今なら聞き返せる。
その時の私は怒るという感情どころか、えー酷いな悲しいなもなかった。ほんとそうだ。私はだめだ。と思う感情しか採用できなかった。
そう、喜怒哀楽
感情はパワーだ。
それを失っていた。心が死んでいた。
それは私がいい人だったから?
とても正しくいい人の様に見せかけて、自分自身で在るを事を放棄して周りに合わせ周りに認められるという事ばかりに必死だった。
そればかりか自分を被害者にして相手を加害者にする巧妙さよ。
自分の力は失うばかりだ。
遠回りをしながらも、happy理論に出会い、少しずつ変わっていった。
わたしはわたしの存在を隅々まで愛したい。
どんな気持ちだって感じていいんだよ。
今だに怒るのは得意じゃない。
それでもわたしの感情は私がよく見てあげれる様になってきた。
でも全ての感情はわたしの大切な宝なんだ。
過去のわたしへ。大丈夫。いつでも愛しているからね。未来のわたしはいつもエールを送っているよ。今の私にも。
大切な宝物を私が一番大切にするからね。
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