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ADHDを隠してきたキャリアを振り返る

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僕はADHDである。しかし誰にも明かさずに働いている。色々思うことがあって、せめてネットだけでは本当の自分を残したいという気まぐれで、自分のキャリアを振り返った。
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ADHDを隠して働いてきたが耐えられずカミングアウトする話

僕はADHD(注意欠如・多動症)である。だが、誰にも明かしていない。診断されて8年経つ。今更、打ち明けるのは人間ドッグで精密検査のオンパレードで、いよいよ死ぬかもしれないと慄いてしまったからだ。 現実で打ち明けられない分、せめてネットでは自分のことを伝えたいと思い、自分のキャリアを振り返ることにした。 「あの人は発達障害じゃないか」と職場でされるたびに、心臓が高鳴る。ADHDであることを黙って働いているからだ("クローズ就労"という)。 僕はIT企業の人事労務担当として働

ADHDを隠して10年が経った

僕はADHDである。しかし誰にも明かさずに働いている。色々思うことがあって、せめてネットだけでは本当の自分を残したいという気まぐれで、自分のキャリアを振り返った。 ※下記の記事の続きです。 10年経っても明かせぬ自分がいる社会人になって、10年生き延びた。 それは同時に、僕が10年発達障害(ADHD)を隠してきたことにもなる(今から約10年前に診断されてるので)。 「いつかは明らかにしたい」 なんて思いつつ、20代だった僕は中年のおっさんになってしまった。 本当は障害者手帳

ADHDを隠してきたキャリアを振り返る(2022年現在)

僕はADHDである。しかし誰にも明かさずに働いている。色々思うことがあって、せめてネットだけでは本当の自分を残したいという気まぐれで、自分のキャリアを振り返った。 今回は大学院卒業後、現在の僕について振り返った。 ※下記の記事の続きです。 大学院を卒業した僕は、今も現職で人事労務の仕事をしている。 実はちょっと前に卒業したばかりなので、もうあまりネタがない。 初回こそ暗いテンションだったが、少なくともこれまでは、何とか働くことができている。 これも、ひとえに職場の方々の

ADHDを隠してきたキャリアを振り返る(リモートワーク下の働き方)

僕はADHDである。しかし誰にも明かさずに働いている。色々思うことがあって、せめてネットだけでは本当の自分を残したいという気まぐれで、自分のキャリアを振り返った。 今回は大学院に通学しているときの、僕の働き方について振り返った。 ※下記の記事の続きです。 転職して1年でリモートワークがメインに僕は大学院入学の1年前に、転職している。当然、ADHDであることは隠している。詳しくは言えないが、IT企業だ。 入社から1年後。丁度その頃からコロナが流行し始めた。そして、リモートワー

ADHDを隠してきたキャリアを振り返る(MBA取得へ)

僕はADHDである。しかし誰にも明かさずに働いている。色々思うことがあって、せめてネットだけでは本当の自分を残したいという気まぐれで、自分のキャリアを振り返った。 今回は、父が亡くなってから大学院を卒業するまでをまとめた。 ※下記の記事の続きです。 発達障害をテーマとした修士論文僕が通学していたビジネススクールでは、2年生になると、修士論文を書く。修士論文とは、大学生でいうところの卒論だ。 具体的なテーマは控えるが、発達障害者に関する内容にした。 あまりビジネススクールっぽ

ADHDを隠してきたキャリアを振り返る(父の死)

僕はADHDである。しかし誰にも明かさずに働いている。色々思うことがあって、せめてネットだけでは本当の自分を残したいという気まぐれで、自分のキャリアを振り返った。 今回は、父が亡くなったときのことをまとめた。 ※下記の記事の続きです。 父の大病働きながら経営大学院(ビジネススクール)に通学している時期に、父が大病を患った。 仕事中に家族から「◯◯という病気で入院することになった」と連絡があったのだ。 ちょっと調べてみただけで、父の人生が、もうそんなに長くないと分かった。

ADHDを隠してきたキャリアを振り返る(大学院入学)

僕はADHDである。しかし誰にも明かさずに働いている。色々思うことがあって、せめてネットだけでは本当の自分を残したいという気まぐれで、自分のキャリアを振り返った。 今回は、大学院への通学についてまとめた。 ※下記の記事の続きです。 働きながら大学院へ転職から1年後、僕は経営学大学院(ビジネススクール)に入学した。いわゆる経営学修士(MBA)を取得するためである。 入学方法は色々あるが、転職してすぐに受験を受けた。思い立ったが吉日、というタイプなので「転職先に慣れてから・・・

ADHDを隠してきたキャリアを振り返る(転職まで)

僕はADHDである。しかし誰にも明かさずに働いている。色々思うことがあって、せめてネットだけでは本当の自分を残したいという気まぐれで、自分のキャリアを振り返った。 今回は、実際に転職するまでをまとめた。 ※下記の記事の続きです。 多動との戦い社会保険労務士の試験は8月。僕が受験を決意したのは、1月頃だった。 残り7ヶ月で合格するために、猛勉強・・・ といきたかったが、ADHDである僕に、そんな集中力はない。 机でじっと勉強してられないのだ。特に休日はコンサータを休薬して

ADHDを隠してきたキャリアを振り返る(転職と社会保険労務士の受験の決意)

僕はADHDである。しかし誰にも明かさずに働いている。色々思うことがあって、せめてネットだけでは本当の自分を残したいという気まぐれで、自分のキャリアを振り返った。 今回は、転職と社会保険労務士の受験を決意するまでの契機をまとめた。 ※下記の記事の続きです。 社員の死から転職を決意僕が人事労務課へ異動して、約1年半が経過した。薬の増量や、上司に恵まれたこともあってか、何とか働くことはできていた(人事評価は・・・だけど)。 一方で「何とか働ける」が故に、業務量も増えていた。先

ADHDを隠してきたキャリアを振り返る(人事労務への異動)

僕はADHDである。しかし誰にも明かさずに働いている。色々思うことがあって、せめてネットだけでは本当の自分を残したいという気まぐれで、自分のキャリアを振り返った。 今回は診断後、人事労務への異動からとある転機までをまとめた。 ※下記の記事の続きです。 一番向いていない仕事への人事異動3年目になろうか、というときに異動を命じられた。ADHDだと診断を受けてから、約2年半。薬を服用したり、上司の計らいで清掃の作業自体はほぼ免れていたものの、思いつきの行動で周囲(特に上司)に迷惑

ADHDを隠してきたキャリアを振り返る(診断まで)

僕はADHDである。しかし誰にも明かさずに働いている。色々思うことがあって、せめてネットだけでは本当の自分を残したいという気まぐれで、自分のキャリアを振り返った。 今回は、就活から就職後、診断を受けるまでをまとめた。 なお、下記の記事の続きです。 100社落ちた就活自分が発達障害だと疑い始めたのは、就活の頃。当時、リーマンショックや東日本大震災を引きずっていたとはいえ、100社も落ちたからだ。 しかも、落ちたのはほぼ一次面接。大手企業のみならず、子会社、中小企業も軒並み全