僕の家の話・1971

とタイトルを決めたものの、さてどう話したらいいものか…とりあえず書き残してみます。
今回は普段名乗っている「澄山シン」というよりも本名の「住山修次」として書きました。

特にオチはない話だし、そもそも「誰に向けて」の話なのか今は未定だけどとりあえず『こんな事がありまして』ぐらいの日記に毛が生えたものとして読み飛ばして頂けたらと思います。

この4月に行われた全国地方統一選挙・後半戦、松本市では市会議員の改選が行われました。
普段なら頼まれた地元の候補者の名前を書くまでで終わりの“一番身近な選挙”なのですが、今回はいつもとは違う関わり方になりました。

きっかけになったのは毎年春に行われる鍵役(かんやく)と呼ばれている用水路に通水する前にする掃除の日、集合場所である公民館へ行くと先に来ていた隣の家の兄さんが「ちょっと頼みがあるだけど」と切り出してきて、もしや面倒な事かと思わず身構えたのだけど「今度次期市会議員に立候補する候補者の後援会の立ち上げ会をやるんだけど、その時に慣れてるところで山雅風にエールを送ってくれない?」との事で、しかも当地区全体のではなくて目の前にあるこの公民館でやる町会の後援会での話という事で、見知ったご近所さんたちの前でなら大丈夫か、と引き受ける事にしました。

二週間後のその後援会立ち上げの当日、自宅から12年ぶりに応援で使っていたストラップ付きのドラムを担いで自宅からすぐの公民館へ行くと、一番広い部屋に椅子が並べられ滅多に使わない演台もデン!と据えられホワイトボードには式次第なんかも貼られていて(あれ?思っていたよりもちゃんとした会場になってんじゃん)と普段と違う様子に少し緊張はしたものの、そこにいるのは普段から知っている顔ばかりなので『まあどうにかなるでしょ』と安心はしていました。

やがて開始時間を迎え僕にオファーをしてきたお隣の兄さんの司会進行で進み、次々と役割をもった方たちが前に進み出て話すのを『へぇー』と聞いているうちに、この町会からの推薦人の応援演説の順番になって
「えー、候補者はこの地元和田の生まれではなく、結婚により越してきたので長くは住んでおらずあまり馴染みのない人もいるかと思いますが…」
という言葉に『あれ?そういうのなんか聞いた覚えあるぞ?』と記憶が呼び出されました。

シュルルル…ピタ
(スマホのカメラロールをスライドするイメージです)

◾️過去のシーン・その1
今から20年程前でしょうか、今回オファーをくれたお家ではないもう一方のお隣の家のじいさんとの会話。
「しゅう坊(僕の事)のじじな、荘作さが選挙に出た時あったじゃねーか?」
「はい、俺まだ小学校上がったばかりだったし、その後に改めて聞くのもいけない気がしてちゃんと聞いてないですけど」
「ありゃあな、担ぎ出されただよ」
「その年の選挙にな、和田の代表が決まってたけんどそれが入り婿でな『そんな他所から来たもんに任せられねー』って怒った衆がいて和田を守る会ってのを、こしてそれで荘作さに頼んだって訳だだよ」
「まあ結果両方とも落ちちまっただけどな」
「あー…」

つられて思い出すのは、建て直す前の古い家の二階が物置きになっていてよく隠れ家みたいに上がっては本を読んだりしていた、その片隅に選挙道具が無造作に埃を被って置かれていた記憶。

右側が祖父・荘作、亡くなる五年前に訪ねてきた戦友と信州博に行った時の写真だ。

身体も声も大きくて、若い頃には運動会で俵上げ競技で優勝を飾った力持ち。
戦時中は地元で農業の傍ら銃剣術の指導者として働いていたそうだ。

僕たち孫は一人残らずあぐらを描いたじいちゃんの脚の間に座りたがり、その包まれる安心感を好んだ。
声もでかくてカミナリを落とされた時は縮み上がり、ご機嫌なときは大きな声で近所中に聞こえる程の声で笑った。
ガンコでどうしようもない所もあったけど、可愛げのある人だったなぁ。

骨太で火葬の後の骨上げの時に太腿の骨が崩れずにまんま残っていて一同で「やっぱり立派だぁ」と感心したっけ。

シュルルル…ピタ

◾️過去のシーン・その2(朧げな記憶)
まだ小学校に上がりたての僕たちが和田小学校の校庭で運動の授業をしていた時に担任の先生がクラスのみんなに説明を始めました。
「今そこでマイクを持って話している人はすみやまくんのおじいさんですよ!みんなの住む松本を良くするためにりっこうほしたんですよ」

みんなも僕自身もなんだか良くわかんないけど、とにかくすげー!ってなったんだけど、こういう時どう振舞えばいいのか分からずとりあえず「お、おう、まあね」とチビなりに偉ぶっていた記憶。
その後学校でその話題がどう扱われたか、までは記憶がない。
さすがに小学一年生には難しすぎたんだろうな。

そして地区を割る選挙戦に祖父が出陣して敗れたそのすぐ後の6月、再びわが家に悪い出来事が起きてしまった。

シュルルル…ピタ

過去のシーン・その3
かあちゃんの実家でいとこと遊んだり絵本を読むなどしていたら硬い表情をしたおじさんが
「しゅうちゃ、お家に帰るで送るよ」と車に乗せられ(なんか嫌だな)と思いながらも言われるままに乗って帰宅するとなんだかへんな雰囲気でした。
玄関から上がるとお座敷に布団が敷かれていて、横にいるばあちゃんが「こっちこい」と手招きをするのでよく分からないままそこに行くと「お前のとうちゃんな、こんなに…なっちまっただ」
とだけ絞り出すようにいって泣き崩れました。

こんなに?って?どういうこと?
父ちゃんなんで昼間なのに寝てんの?
みんな周りにいるのに?
僕は混乱するばかりで、どうしたらいいのか分かりませんでした。

シュルルル…ピタ

◾️過去のシーン・その4
8年前、亡くなった叔母さんの新盆に従兄弟たちと訪れた時の叔父の回想。
「お前んとこの父ちゃんな、俺の兄貴の最後はまあ可哀想だったよ。現代だったらもっと早くに見つけて治療もやれただろうに…見つかった時はもう末期でな…打つ手もないって…ありゃあ、ただくたばるまで痛み止め打って寝かせてただけだもの」
僕の父、義次36歳にしてあまりに早いこの世との別れでした。
(写真を見つけたら後で載せる予定です)

繰り返しになりますが、1971 年(昭和46年)当時、ボクは小学校へ入学したばかりでした。
弟はその時3歳、さすがに幼すぎて記憶はないそうです。
僕も希薄なものがチラッとある程度。

古い家の玄関先でひとりはにかんでいる僕を撮ったのは誰だったんだろうか?
よく見る家族揃って、の記念写真じゃないのがその時の我が家の状況を加えて大人になって改めて考えると切なくなる。

おそらく小学校に上がったばかりの頃のこの写真が撮られた時、父は末期癌で何処にも行けず病院のベッドにいたはずだ。
祖父たちは農家の仕事に加えてそろそろ選挙へと準備を加速させてただろう。

この写真のあと4月に祖父が落選し(おそらく批判され)続く6月に父が他界したんだからやるせない。
多分皺寄せは、ばあちゃんと僕の母親に行ったはずだ。
あまり直接は意識させるような話題は、少なくとも僕の前では家族間で聞いた事はない。
ないけど、やはり重いものが常にそこにはあった気がする。
僕と弟はやがて大人になったらこの家の父の不在から盛り返す働きをしなきゃいけないんじゃないか?そんな風に思っていたかもしれない。

まあ家族はそう仕向けなくても、親戚やら近所からは「頑張ってみんなを楽にさせて」っていう気持ちをヒシヒシと感じてて、それに応えようって当然思いながら育つんだけど、ある日突然それが重荷に感じるようになっちゃってね。

家出なんかしちゃったりして、反抗してたって訳じゃなくて応えられない自分がもどかしかったり、青年期はなんか答えのない所で悩んでました。
そんないろんな元凶が辿っていけばあの年だったのかなぁ、なんて振り返ると感じます。

◾️さて、応援した現代の市会議員選挙は?
そんな僕の内なる葛藤とは関係なく、やはりお隣の兄さんから「こないだのあれ、候補者夫婦も後援会の衆にも評判良かったで今度は出陣式でもやって欲しいってけど、できる?」と再びのオファーを貰い再びやる事に。
実は候補者ご夫婦、アウェイに行ったりした事のあるくらい熱心な山雅サポなんだって。

なんかそんな気はしてたんだよな、と引き受けて4月16日指定された場所、かつての和田小学校のグラウンドだった広場へ向かいました。

地区の後援者のみなさんが100人ほど集まり定刻通りに始まった出陣式は神主さんの祝詞から始まり来賓の挨拶に差し掛かっています。
僕の出番は最後なのでこんな風に横で待機をしていました。

頭の中では今週ずっと仕事の間にイメトレした挨拶やエールをおさらいしていたら、ある来賓の言葉にギクリとさせられました。
「この和田地区では、昭和46年の選挙で議席を失っております。その後、次の選挙戦で復活できるまで大変に市との関係に苦労したと伝わっております。なんとしても、地区と市とのパイプ役を失う訳にはいかないのです!」

『ああーごめんなさい…それうちのじいちゃんたちが邪魔したからです…』とは思ったものの、発言された方もまさか袖に控える私に向けたものではなく、地域における議席の必要性を言ったまでなんだとは思います。
が、50数年経ってもなお不名誉な出来事として語り継がれているのに正直驚きました。

いやー驚いちゃったなぁ、と内心は思ったけど今更引っ込む訳にもいかないし、まさか紹介された僕の苗字と50数年前の候補者の一致に気づく人などいないはず、いたとしてももうやるしかねー!と腹を括りステージにしてあるトラックの荷台に上がり自己紹介のあと
予習のとおりにトークと後援会のみなさんをリードして候補者へのエールを問題なくこなし無事に出番を終えることができました。
さすが地元だけあって軽くレクチャーしただけですぐにみなさんが理解してくれたのはありがたかったです。

『さて、あとは当選してもらうだけだぜ』大きな波乱が無ければ地元分で必要な数の投票を得られるはずなんだけど、実際こう…自分が関わってみると不安が過ります。
もしなんか間違いがあって落選、なんてコトがあったら俺が関わったせい?なんて想像しちゃうのです。

まあ結局直前のそんな心配も杞憂に終わり次の日曜日には無事に全体の23番目で当選が決まって一安心できたのですが。
これでちょっとはじいちゃんが関わったかつての選挙への罪滅ぼしになったのかなぁ、なんて思ったりもしました。

◾️でもって改めて振り返ると
「じいちゃんが出た時の選挙では実際どのくらい票は取れてたんだろう?』と気になって市立図書館に行って信毎の紙面データベースで昭和46年を調べてみたら選挙結果のページがありました。
…ビリから二番目でした。
いやー、ぐうの音も出ない惨敗ですね。

◾️どうしても気になる出馬理由を想像する

しかしなんでじいちゃん達はこんな望み薄な選挙戦に臨んだのでしょう?
もう本人にも担ぎ出した和田を守る会の皆さんにも話を聞くことは出来ませんから正解は分かりませんし、当時と現代の価値観は変わっているので簡単に批判することはしたくないけど、先に決まった候補を気に入らないからって、
横車を押すようなやり方はあまり褒められたもんじゃないけど、それはもう50数年も前の話なんで仕方ない。

いやでも、いくら婿養子が気に入らないからってそこまでするもんだろうか?「守る会」なんて作って。
ん?守るって何から?まさか婿、じゃないよな。
どうしても聞いたり知っている僕のじいちゃんの姿とは噛み合わない。

これは僕の完全なる想像なんだけど
「一部の有力者たちだけで」
「次期候補者を選定してしまった」
「それを後から知り義憤に駆られた人々が」
「そういうやり方そのもの」から
和田を「守ろう」と集まったんじゃないだろうか?

そう考えると少々強引ではあるし、勝ち目薄い選挙になるのが見えてるのに「守る会」が突入したのが納得できる気がします。
まぁ完全なる想像の話なんだけども。
そう考えると「守る」というワードの強さが納得できる気がするんですよ。
選挙としての結果は明らかに良くなかったけど、彼らの行動は恐らくその後の候補者選定のあり方に反映されているんじゃないのかなぁ、と。

正誤は分かりませんが、当事者の孫である僕はこの説を提示し、お伝えしたいと思います。

では、繰り返すけどなんでその時うちのじいちゃんが?

多分なんだけど、じいちゃんはその当時にはすでにもう一連の事業が落ち着いていた大掛かりな農業用地の構造改善の理事長を務めきり、その仕事っぷりや知名度をあてにされたんじゃないかと。

臨空工業団地の北側に時を経た今でもまだまだ生きている用水路や広々とした田んぼ、畑の区画割りの近代化が昭和30年代に行われたその時に地権者との折衝などを調整したのがうちのじいちゃん達でした。

理事長になるよりも前には、今よりも地域における農業の存在感が遥かに大きかった時代に、農業委員として各地区を代表して集まってきた次世代のリーダーたちのひとりがじいちゃんでした。

その仲間から政治家へと道を進む方も現れてじいちゃんもそれを応援していたようです。
そんな経験や繋がり知っていたから、周囲も推したかったんじゃないかなぁと想像しています。

それにしても、息子が死にかけてるのに懇意にしてきた仲間たちからの頼みも無碍にはできず、っていう中でやった選挙戦は苦しかっただろうな…

ある休みの日、子どもの時の手伝い以来久しぶりにその農地へ行ってみました。
皮肉なことにもうわが家の田んぼは、そこには残っていないんだけどね。

じいちゃん達が一生懸命に地元の未来、子孫の為にやった事業は古びてきているけど今もなおこうやって残り、実りをもたらしている。
僕はそれだけでもう充分偉大だと思っています。

そして最後に、もうひとつだけ付け加えさせて欲しい。

1998年フランスワールドカップで日本がジャマイカと戦ってるあの夜中に90歳で息を引き取ったじいちゃんの告別式には、かつて農業委員で一緒だった松本市の現職市長の有賀さんも公務の合間に時間を作って弔問に来てくれた。
そのことだけ見ても彼が地元に対してどんな風に生きていたかの証しじゃないかな、って思うんですよね。

◾️おわりに

そんな感じでこの春ちょっとしたきっかけで家族の、わが家の過去を思い出したので書き残してみるつもりで書き始めて、出だしでは読者を想定してないと書きましたが、綴っていくにつれて『もしこれを住山姓を受け継いだ従兄弟の子供たちが検索なんかで見つけて読んでくれたら面白いな』なんて想いが膨らんでいます。

ではまた機会があれば。
最後まで読んでくださったみなさん、ありがとうございます!

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