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士業のタタミカタ_5

チャンスはピンチ?


前回に書きました通り、 サムライ業の中で税理士(として働く公認会計士さんも)は、他の士業と大きくその構造が異なります。簡単に書けば、記帳代行と決算が毎年あるため、小零細企業からの依頼が安定して継続するので、スタッフの雇用など固定費がまかないやすい、と言うこと。

まとめると
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1. 小零細企業の記帳を請け負って顧問報酬をいただく。
2. お客様に寄り添うスタッフが専属の担当者となる。
3. 担当者は家庭内の事情にまで習熟し、信頼を得る。
4. 税理士は決算などの協議をして決算報酬をいただく。
5. 個人の確定申告、相続税の申告まで密着して関わる。
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これらのことが、税理士事務所の経営にとっては「強み」であったけれど、外部環境、業界内の変化によって徐々に「足かせ」とも言える点が生じてきました。

上記のまとめに沿って、その裏側でどのような点が問題だったのか?
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1. 個別対応で、作業の標準化は困難な多品種少量生産
2. 担当固定化、属人的な処理方法、ノウハウの囲い込み
3. 身内化して業務範囲の境目が曖昧に拡大、長時間化
4. 税理士とお客様との乖離、実情把握もスタッフ頼み
5. 結果、関わりのゴールは、「どちらかが死ぬまで」
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この後、私より少し前の世代の方とのギャップと、私たちの世代がもがいたこの状態になった時代背景をもう少し詳しく概観いたします。

「古き良き時代」に乗り遅れた世代?

私が税理士業界に入る前の時代、「古き良き時代の税理士さん像」を、何となく端的に表す会話がありました。それは私が税理士として開業した時に、小零細企業の実家を継いでいた兄が私に向かって語った言葉です。

「お前たち税理士さんはイィよな、たくさん報酬もらってるのに、ふんぞり返って、先生、先生って言って奉られて、寿司食わしてもらって、酒飲ませてもらって、お車代までもらってなぁ、お中元、お歳暮だって山盛りだろ? そりゃあ蔵が立つよな。」

「それは古き良き時代、もっと昔のことだから。ボクらは、当たり前に「ありがとうございました。」と頭を下げるし、報酬も随分リーズナブル、酒食の接待やご贈答はご遠慮申し上げているし、お車代なんてもってのほか。だから、ボクらの世代の駆け出し税理士は、蔵なんか夢のまた夢、住む世界が違うよ。横須賀の税理士さん達は、まだその世界にいるのかな? 東京では、もうそんな税理士さんはお客様から選んでいただけないと思うよ。」

「古き良き時代」と兄には伝えましたが、私はちっともそんな税理士さん像を羨ましいとは思っていませんでした。お客様の税務を預かる身にありながら、接待を受けて、お客様の交際費などの損金を増やしてしまいますし、ましてやお車代は、そのままにしたら雑収入の計上モレじゃないか、と先輩諸氏の話を聞いていて思っていました。接待や、お車代をいただけるくらいならば

「仕事を正当に評価して、その分は報酬でいただきたい。」

当時から、そう思っていましたし、今も同じです。謂れの無い謝礼や御礼の接待ではなくて、役に立った、ためになった、ありがとうと思っていただけるような仕事を出来ていたなら正当な評価を、見合った報酬を、と思い続けています。

横道にそれ加減なので、この仕事での私のスタンスは、別にまた書きます。

厳しい時代に船出した人たちの形


どの税理士事務所も、こうなるワケではありませんが、1985年以降バブル期前後に初代として開業し、「成長を目指した事務所」には、似た状況に陥った事務所が多かったのではないかと思われます。高度成長期の終わり頃までに開業した先輩諸氏たちが、バラ色の世界、とまでは言いませんが、それ以降の私たちとは、環境も成果も大きく違っていたと思います。それは、少し偏った説明かもしれませんが、下記データのような時代背景がありました。

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  高度経済成長期  1955年~1973年
  バブル期     1986年12月-1991年2月 
  消費税導入    1989年 平成元年
  ウインドウズ95    1995年
  団塊ジュニア30代 2001年〜2005年

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これらの環境の中で、税理士事務所を開業して成長を目指した人たちが陥っったパターンは、次のような形なのだと思います。

「高度成長が終わった日本で開業して小零細企業が育ちにくい環境の中で、バブルの恩恵はなく、寧ろ負債を抱えたままの市場で、導入されたばかり消費税の混乱を背負って走り、顧客の小零細企業は生き残りが難しくなる中で、事務所の拡大を目指したときに、OA化(当時はオフィスオートメーションと読んだ)もまだ不自由が多く、それまで採用の頼みの綱だった団塊ジュニアが適齢期を通り過ぎてしまってからは、必要なレベルのスタッフが小規模な税理士事務所では、手に入らなくなったから。」

そんな状態に私の事務所も陥っていました。

結果として、非効率なオーダーメイドの作業を、固定した担当スタッフのみがこなし、習熟によって生じた余白は本来は利益のはずが、契約以外の業務を少しずつ「サービス」してしまうことで使い果たしてしまい、追加の請求はできない・しない・したくないままに仕事時間だけは長くなる。税理士事務所内では小さなタコツボ化したスタッフ間にはノウハウの共有が生じづらく、(私も結果としてそうなってしまったが)お客様の状況について担当スタッフからだけの情報頼りとなり、選り分けられた不確かな報告になっていても判別ができないことにも。

5.については、関係が深まり、何から何までお手伝いさせていただくことなので、「望むところ」なのですが、1.から4.についても進化しながら、深化するならば、喜ばしいことも、寄って立つ状況が不安定になっている中で、期待値とある意味で責任ばかりが重くなるため、大きなコトが生じた時に、十分なケアができないような事案が生じて来てしまいます。

何故、そんなことになってしまうのだろう、と思ってる頃に、こんなやりとりがお客様との間にありました。

「どうせ、ワンクリックで出るんでしょ?」


今から15年ほど前のことでした。とあるお客様から、請求金額についての不満、値下げの要求があって、その時にこう言われました。確かに、月次処理が出来上がった状態で、月次試算表のブリントアウトは、(さすがにワンクリックでは無理ですが、3つか4つの選択をして)短時間で可能ですが、その手前の処理、特にそのお客様の処理は、魔法でも使わなければヤワでは終わらない方、でした。

その方はお仕事の領域が広く、連なる必要経費も損金性の判断が難しく、クレジットカードは4-5種類ほどを固定せず使い回し、その利用明細書は年に何ヶ月分かは抜け落ちがあり再発行待ちもしばしば、領収書も存否が定まらず、未整理でその上に膨大、預金口座もいくつかあり、預金通帳の記帳がしばらくされていないままの場合もあり、そして現金出納帳などはなく、パソコンはお仕事にお使いになっていましたが、会計関係では全くお使いになってなくて、全てのデータは紙ベース、かつモノによっては見にくいFAXで私どもの手元に届いていました。

断っておきますが、この方の悪口ではありません。小零細企業では、程度の差はあっても、似たような状況にあって、多かれ少なかれ、前にも書きました通り会計帳簿の作成は「誰にとっても後ろ向きで面倒くさい作業」であるからこそ税理士事務所は必要とされてきたワケです。

前々から、それぞれの点について、「交通整理のお願い」をして来ましたが、なかなかお聞き届けいただけてなかったので、上記のような現状をお伝えしました。

「これまでのお願いを前向きに進めていただけたら、検討させていただきますが、現在の状況は、さすがにワンクリックでは無理です。どうぞ、ご友人などに、こんな帳簿処理の現状を伝えてこの報酬額が高いか、お聞きになってみてください。」

そう率直にお伝えをした後は、報酬の値下げについてのお話しは、二度とありませんでした。このお話のような認識の違い、ギャップはどうして生まれるでしょう。

(次回は、私が思い描いた未来と、お客様の望むことの食い違いを、私どもで、起案していた私どもの「基本理念」から考えてみます。)

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画像は、夕焼けに見えますか?   実は、早朝散歩の朝日、です。



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