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#5 初めての夜更し

中学3年生の夏、野球部を引退した。
夏休みに入ったけどただぼんやりと過ごしていた。
中高一貫校だったので、他のチームメイトは高校の練習に合流し始めていた。
自分は野球を辞めることにした。
硬式野球についていけないとわかっていた。

今思えば何も考えずにただ毎日うまくなると思ってやっていただけだなって思う。
パワプロもたくさんしてたし、ノムさんの本もたくさん読んでいたけど、自分がカラダを動かすことと完全に別物としていた。

夏休み。
中学3年生は高校受験で忙しい時期。
エレベーターで進学できるからただぼんやりしていた。
パワプロやウイイレばっかしていた。

サッカーはウイイレ経由ヨーロッパサッカーメイン。
CLの存在は知っていたし、CXで放送することがわかった。
ただ夜更かしをしたことがなかった。
3:45にリビングの電気をつけて、テレビを見るなんて。

次の日の予定なんてない。
マンチェスターユナイテッドの試合を生放送で観れる。
観るしか選択肢はなかった。

彼、そしてセルティックがどこまでやれるかなんてよくわかっていない。
日本、横浜での彼の活躍はあんまり記憶になかったし、中二病真っ盛り。

放送が始まった、ジョンカビラの煽りで高まるテンション。
当時のCXのヨーロッパサッカーの特集はかっこよかった。
マンデーフットボールの音楽はTSUTAYAで原曲を借りた。

選手入場、あのアンセムを生放送で初めて聞いた、震えた。
試合内容は覚えてない。
唯一覚えているのはあのフリーキック。
ファンデルサールが一歩も動けなかった。
夢の劇場で日本人が得点を決めた。

この日、自分の高校生活の大筋は決まった。
勉強とヨーロッパサッカーを追う生活。

欧州サッカー雑誌2誌を必ず買う、けどWowowとかスカパーは入っていなかったからたまにやる放送をチェックする程度、やべっちFC万歳。
戦術なんてわかってなく、フォーメーションでどうになかると思っていた。

大学受験に向けて、日本史専攻だったけどヨーロッパの地理と歴史について詳しくなったのは間違いなくサッカーのおかげ。
シャルケのスポンサーにガスプロムがなったことを知り、ロシアとドイツの地政学を勉強したりしていたな。

中村俊輔。
彼が横浜に帰ってきてから、マリノスを観に行く機会が少しずつ増えていった。
最後の国立での天皇杯。
彼がマリノスのキャプテンとしてカップを掲げれるのを見れた。
彼はファンタジスタでありスターであった。

別れや移籍に関する記憶はない。
プロ野球の応援に熱中していた。
もしかしたら彼がマリノスからいなくなったのも関係しているかな。

そんな彼が引退。

セットプレーというサッカーで数少ない時計が止まっているプレー、サッカーをよく知らない人でもわかりやすいプレーで人々を魅了する。
誰もが名前を知っている存在。
それが中村俊輔だと思う。

サッカー小僧の彼が指導者ライセンスを取得し、第2の人生を歩み始める。

もしトリコロールのもとで戦える機会ができるのであれば、
その時は一緒に喜怒哀楽を共にしたい。
彼もマリノスファミリーなんだから。

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