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【預金残高5000円】会社を起業してから2年間に起こったことを全部まとめてみたPart.1

株式会社タクティカート代表取締役の稲垣悠一郎(写真左から2番目のぽっちゃり)です。1993年4月7日生まれ。東京生まれ、静岡育ちの27歳です。(2020年12月執筆時)

Twitterでだいたい色々喋っています。

2019年1月10日、東京都立大学法科大学院在学中に、クラシック音楽のコンサート制作会社を立ち上げ、まもなく2年になろうとしています。

そんな、節目の時期を迎えたので、会社を起業してからこの2年間起こったことを包み隠さず、「全部」まとめてみました。

この記録は、あくまでも、僕自身の頭の中の整理でもあり、人様に読み易くは必ずしもなっていませんので、そこだけご了承ください(笑)

それでは、スタートです!

2018年3月に法科大学院1年留年

いきなり、悲しくなるような見出しですが、事実です(笑)当時、司法試験に向け、法律の勉強に勤しんでいた僕は、なんと、必修科目である、民法と民事訴訟法を落単します。

絶望でした。僕的には精一杯勉強していたのですが、一向に成績は上がらない。法律は好きなんですが、どうも、受験勉強が出来ない。なにをいま自分はやっているんだろうと、若干うつ状態になって、体調は崩すし、病気にはなるというなんとも病弱な大学院生でした。

そんな人生に絶望しているときでも、僕を支えてくれていたのが、音楽でした。幼少期からヴァイオリンが好きで演奏していて、コンサートも大学時代から自主企画で、行なっていました。恥ずかしいですが、2012年の大学時代の初自主企画コンサートをお見せします。

他にも、演奏会に出たりと、常に、音楽がそばにありました。

(めちゃくちゃ痩せてる)

2018年3月には、World Ship Orchestraでソリストとしてインドネシアにまで行きました。ここでの出会いも、僕の活動の原点になっています。

2018年8月、World Ship Orchestraつながりで知り合った指揮者の佐久間一平さんやその仲間と一緒に、Einmal Orchestraというオーケストラを設立することになりました。

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オーケストラの難しさに直面

ここで、オーケストラという形態の運営の難しさに直面します。

まず、とにかくお金がかかる(笑)会場費がとにかくバカ高い(笑)世の中のオーケストラは一体どうやってなりたっているんだろう。

こんな1つの疑問から僕の起業家精神が育っていくことになります。

ここで、当時の僕は、Twitterというとてつもない武器を手にすることになります(笑)

このTwitterを使って、なんと、情報発信を始めたのです(笑)たとえば、

・今あるクラシックのコンサートって、暇じゃね?
・なんか、面白味のない、企画だな

とか、なんとか言っていると、しょっちゅうプチ炎上していました(笑)

活動的な2人との出会い

そんなとき、同じく、炎上している男がいました。その名は、

〈千野哲太〉

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しかも、東京芸術大学に通うサックス奏者ではありませんか。

何かのきっかけで、リプを返すようになり、当時、焼肉じばごという焼肉屋さんで、バイトをしながら、焼肉を食べながら音楽が聴けるという変な企画をしていた僕は、1つ賭けに出ます。

彼に、「出演してもらえませんか」

とDMを送ったのです。

その時のDMがこちら。

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おおなんと、一瞬で返事きた〜〜〜〜

と当時は、興奮しっぱなしでした。ほぼ初音大生の絡みです。

(にしてもひどいチラシですよね笑 まあ僕が作ったんですけど)

と同時に、連絡をとっていた男がいました。その名も、

〈小針侑也〉

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若いな〜〜〜笑(これいつの写真だろう)

その時のDMがこちら

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当時から、小針くんらしい、メッセージですね笑

そう、そしてなんと、千野くんと小針くんはもともと企画を通して知り合いで、僕の話が出ていたそう。

そこで、じゃあ、もうみんなで焼肉屋で会っちゃえ、ってなって、この写真です。

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ちなみに、一番左は、イトケン。早稲田大学を卒業し、都内で飲食店を複数店舗経営しながら、かつヴァイオリニストという、強者。彼は、Einmal Orchestraの企画で、コンマスをつとめてもらいました。

そんなこんなで、2018年12月。小針くんと何回か会って、よし、一緒に「起業しよう」となりました。(これもこれですごい決断だった)

幸いにも、法学を学んでいた僕は、会社設立について、だいたいはわかっていたので、ちょっと調べたら一瞬で設立ができることが判明(といいつつも、面倒な手続きにはイライラしてましたが笑)

ついに2019年1月10日、法務局に書類を提出して、人生で初めて会社を設立するに至りました。

いきなり0円に

作った会社は、資本金30万円。当時まだ学生だった僕は、収入はほぼ0。なんとかバイトを掛け持ちして、生活をしていました。当時は実家に甘えていたので、家賃と食事は出してもらっていたので、とりあえず日々生きていけはしました。

資本金30万円ですと、会社設立費用で全部消えてしまいます。ですので、実質0円からの起業、ということになりました。

そんななか、まず、コンサートの企画を小さなところから初めていきました。

やっていたビジネスモデルは、

① 演奏家紹介 ② コンサート企画 です。

①は、いわゆる、仕事をとってきて、音楽家に演奏を依頼すること

②は、焼肉屋で、ライブコンサートの企画→集客に応じてバック

というものでした。

とても充実した日々だったことには間違いがないんですが、「事業」としては、相当厳しかった。

詳しくは、別記事に譲ろうと思いますが、こんな感じで、やってました。

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(最初は演奏者俺って感じで、1ヶ月間演奏していました。)

そのころ、いろんな企画にも挑戦していました。ただ、初期費用をかけられないので、場所代を払うものは不可能でした。

そこで、ライブハウスで、音楽家の交流会兼コンサートにような企画を始めたりしていました。(we are musicianという企画。)

この企画も、内容的にはとても充実していたのですが、毎月開催してくれ、というライブハウス側のビジネスに飲まれ、結局苦しくなってしまいました。(途中でこの契約は解約)

他にも、ミニマムで開催可能なコンサートを数多く開催。企画の数々は、こちらにまとめてありますので、もしよかったら覗いて見てください。

そうこういろんな企画をしてはみるものの、会社の事業として回すには、相当厳しい状況が続いていました。1回のコンサートで、出る利益は2〜3万円。しかも、これ、人件費を除いて、なので、実質赤字。これではいかんと、いろいろ考えたのですが、なかなか思いつきません。

そんな中、1人の人物との出会いがありました。

弁護士の松川弁護士です。クラリネット奏者でもある松川弁護士は、僕が司法試験を目指して勉強していたこと、そして、音楽の事業を立ち上げていたことを心から応援してくださいました。僕の生き方を人生で初めて肯定してくれた人物でもあります。いままで誰からも肯定されず、涙が出そうでした。松川先生との出会いが、本当に大きいものでした。そんな松川先生からFacebookで突如連絡をいただいて、お会いして、巣鴨のコミュニティーの出会いがありました。

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Ryozan Parkとの出会い

Ryozan Parkとは、コミュニティーである、と定義して良いと思うのですが、シェアハウス、シェアオフィスを運営していて、そのコンセプトに惹かれるものがありました。興味ある方は、こちらをご覧ください。

そのオーナーである、ノリさんこと、竹澤さんは、なんと、僕の大学の先輩でした!

そんなこともあり、応援してやるよ、言ってくださり、僕は、環境を一気に変えてみることにしました。

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(Ryozan ParkのLoungeでのパーティーは記憶に新しい人も多いはず。)

会社の1周年記念パーティーもここで開催させていただきました。

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(ここでの繋がりはたぶん一生の繋がりなのかなって思っています。)

すっかり、巣鴨の魅力に囚われてしまった僕は、ついに、巣鴨に引っ越すことを決意します。

・・・Part2に続く...

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