見出し画像

今でもわからない母の日の思い出

小説以外の更新は久しぶりです。

先日、母の日に娘に買ってもらったつぼみのカーネーションが、花を咲かせ始めています。ある程度咲いたら地面に植え替えるんですが、去年、YouTubeで見て枯れかけたカーネーションを急いで植え替えたら、小さいながらも、秋頃まで花が咲いたのです。冬を越して今もしっかりつぼみをつけて凜と茎を立ち上げていますが花はまだ。
(なんだかなー私がつぼみとか茎とか書くとなんかやらしいな)
去年のと、今年の分と共に花を咲かせてくれるのを楽しみにしています。
それにしても、カーネーションって冬越しできるのね……?

母の日ギフトは、娘からだけでなく、息子からも届きました。
スシローギフト! ありがとう! お父さんとありがたくいただくよ!
息子も娘も、合同だったり、それぞれだったり、「母の日」を気にしてくれる。
とっても嬉しいし、ありがたいことだと思う。
もちろん、やってくれないといけないことではないのだけれど、
でも、私自身は自分の母親に対して、母の日によい思い出がない。
ていうか、今でもわからない。
なぜ私は、あの時、あの母の日に、母に叱られたのか。


************


小学校の三年生くらいの頃だろうか。
友だちと一緒に、近所の雑貨屋さんに母の日のプレゼントを買いにいった。
お年玉の残りか、お小遣いを貯めたものか覚えていないけれど、
とにかくありったけのお金を持って、私はそのお店で、
ビーズの財布とガーゼのハンカチを買った。
庶民小学生の買えるものだから、きっと高いものではなかったと思う。
ちゃちなものだったかもしれない。よく覚えてないけれど、
私は「お母さん喜んでくれるかなあ」と、ドキドキワクワクして
母の日のプレゼントを渡した。
けれど、「こんなことにお金を使って!」とすごく怒られたのだ。
照れ隠しではなかった……と思う。本当に怒っていた。
どうして?
どうして怒られたのか今でもわからない。

その財布とハンカチがどうなったのかも覚えていない。
ただ、がっかりして悲しくて、
でも、泣いたかどうかも覚えていない
覚えているのは、プレゼントを渡して
「いつもありがとう」って言って、
すごく怒られたことだ。

今でもわからない。
本当に無駄遣いしたのだと怒っていたのだろうか。
母に対しては、他にも今でも傷になっている出来事がいくつかある。
どの親子もそんなものかもしれないけれど、
だからといって母が毒親だったとは思わないけれど、
でも傷は消えなくて、
「合わないなあ」と思っていたことは事実だけれど。

ねえ、お母さん、なんで私あの時怒られたの?
もっと話せばよかったな。
合わなかったと思っても、もっとこうすればよかったと、
鬼籍に入ってしまった母を思うと
後悔は絶えない。

でも、やっぱり今もわからない。
息子も娘も母の日を思ってくれる。
嬉しい。
でも、永遠に「母の日」は私にとって苦いままなのだろう。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?