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過去生セッションがもたらしたアルハイママとわたしの変化

最近月イチで受けているチャネリングクラス。クラスメイトとのオンライン実技練習の際に、母と一緒の過去生をチャネリングしてもらった時のおはなし。

アルツハイマーの母はどんどん本能化していて、思ったことをフィルターなしに口に出す。わたしはそんな母の言動にイラっとする場面が多くてちょっとストレスが溜まっていた。特に母の仕切り屋な発言に強く反応する。
これはこっちに置いた方がいい。こんな曇り空に洗濯物は干しちゃだめ。とか、そんなこと。

他の事柄は聞き流せるのに、どうでもいいような家事の仕切りになぜこんなにイラっとするのか、自分でも不思議。
だから過去生チャネリングの際に、クラスメイトにこの件に関するイライラ解決をお願いしてみた。

彼女が視てくれた過去生のわたしは農耕をする男性だった。わたしは自分の畑の管理以外に、限りある水を村人の畑に均等に行き渡らせる役目を負っていた。村人の中には自分の畑にもっと水を入れて欲しいと文句を言う者もいて、過去生のわたしは少ない水のやりくりと平等であることに心を砕き、噴出する苦情にストレスを感じていた。

とりわけ一人の村人の女性とは口論が多かった。その女性は何かの事情で夫が働けなくて、彼女が畑で働き家族を食べさせる必要があった。彼女は生きるのに必死だったのだ。
現在の我が母の過去生が彼女だった。

晩年、過去生のわたしは日射病で畑の上で生涯を終える。
そのとき、自分の人生に対する達成感とともに、水を均等に分けても分けなくても人は死ぬんだという喪失感も感じたという。

この人生を知って、母の要求にイラっとくるのはこの過去生の関係性にあるのだと腑に落ちた。
そして、あの女性にも大変な苦労があったのだよね、という同情の気持ちが芽生えたし、過去生のわたしにも、ずいぶんと生真面目にがんばったんだなぁ、ご苦労様という気持ちになった。もっと気楽でもよかったかもね。

セッションを終えて最近もわたしは、イラっと感じるたびに、「ママもあの頃、家族の生活を支えて大変だったんだよねー。」と思い出す。そしてあの頃のふたりに向けて、お互い大変だったね、がんばったねーと癒しの光を送ってみる。
水をめぐっていがみ合っていたのは違う人生での出来事。その癖を手放して、過去の生きるための我武者羅さを労い、喪失感を癒す。
そんなことを続けているとなんだかいつの間にか、イラっと頻度は減ってきたみたい。母が変わったのか、わたしが変わったのか。
きっと両方だ。

過去生を知ることで、現在が快適になってきた。
練習セッションだったのに、すごく得した気分。クラスメイトに感謝。


読んでくださり、ありがとうございます。 サポートのお気持ちとても嬉しいです。ありがたく受け取らせていただきます。感謝💕