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杖つきパパの、できなかったお礼物語

終戦の日のTV番組のせいだろう、父が昔話をはじめた。
父は戦後に樺太から引き上げて来た日本人の一団のひとりだ。

父の祖父は樺太に早い時期に入植した人で、一族はその地では裕福に暮らしていたのだそうだ。しかし敗戦に際して、日本へ戻る決断をせざるを得なかった。

一族のうちの父の一家は、母親の親戚を頼って北海道砂川の農家に一時身を寄せたそうだ。樺太から追われるように着の身着のままたどり着いた一家五人を、その農家は優しく受け入れてくれて、白飯を食べさせてくれたのだそうだ。
今となっては、どの位の期間、そこに住んだのか分からないと父は言うが、その地域の学校にも通ったというのだからある程度の期間は居たのだろう。

その頃まだ10代の少年だった父は、いつか立派な大人になったら、お礼をしに来ようと思ったのだそうだ。そのくらいにありがたい待遇を受けた。

年月は過ぎ、父は思い描いた立派な大人になった。
要職に就いた際に、ふと、これまでの折々にお世話になった人々に対して「おかげさま」の気持ちが湧いた。そして、あの砂川の遠い親戚にも思いが及んだ。あの時期に助けてもらったからこそ、いまの自分がある。ありがたいことだった、と。

それなのに、忙しさにかまけて、結局出向くことはしなかった。

そして今、既に事情通だった実の兄姉も他界し、その農家を探す手立てもなく、自分も杖をついてやっと歩くような体になってしまった。

戦後の混乱期に家族の衣食住を支えてくれた砂川の遠い親戚に、きちんとお礼をするべきだったのに、しなかったなぁ。という父の人生におけるやり残しの話。

わたしはただ相槌を打ちながら聞いておいた。
多分、話し終わったことで父の気持ちは整理できるのだろう。
実際、父はわたしに何を託すわけでも、教えを説くでもない。

わたしは、こうして文章にしてそのおはなしを放出することにする。
父の抱えていた感謝の気持ちが、言葉になって発信されたことで、空を巡って集合意識のどこかへと届いていけば、それでいいと思う。

心からの感謝を込めて
ありがとうございました。

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