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デモや街頭演説で、私はアンサンブルの芝居に徹する

「公共の福祉」の恩恵を受け続けたくば、行動しましょ。


もうすぐ選挙ですね。
地方選挙なんて、インパクト小さそうだし、意味あるのかな?と思うひともいるかもしれませんが、個人的に難病持ちとしては自分の住んでいる地域が難病患者に対して治療の手当てをくれるのは非常にありがたいことですし、またライフワークであるミュージカルの練習場所を区の施設で借りているので、十分その行政の恩恵にあずかっていると思います。

仮に「金がかかるし一生完治しないんだから、難病患者の支援しなくてもよくない?」とか「無駄だから区の練習施設なんて老朽化と共に取り壊そうぜ」という考えの人たちが政治の多数を占めていたら…?

たぶんその恩恵にはあずかれないわけで、自分に無関係だともいえないと思います。

先ほどTwitterで「丁寧な暮らしとはだしを自分で取ることだけをいうのではない、政治に興味を持つことだ」という投稿を見て、深くうなずいてしまいました。もっとも、この3年間の新型コロナウイルス禍で「この地域(市区町村、都道府県、あるいは国)人の命に関心あんの?」と思ったことが何度もありました。

こんなわかりやすく、「政治とおれっちの人生」について考える機会を与えられたのに、それでも政治と生活の結びつきが実感できない人は、
言葉は悪いけど「おめでたい頭でなによりです」という感じ。言葉が悪くてすみませんね。。


投票行動以外に、もうちょっとだけ頑張れるというあなたへ


私は政治については候補個人単位でをみるようにしております。
政党はどうしてもいろんな人がいて幻滅しちゃうことが多いためです。

そして、さすがにもうあの政党を、あの思想の人たちを選挙で勝たせたくない、それは自分の健やかに生きていくうえでかなり邪魔である、という気持ちが強くあります。

大体、この出生数のえぐい減り方と、海外への流出がこのままでは墜落の一途をたどる何よりの証拠じゃん‥


私は、超~微力でもいいから何かを変えたくて、投票行動以外のアクションにも数年前からチャレンジしています。

具体的には、勝ってほしい候補の街頭演説情報を、選挙ウォッチャーである某大学の先生をはじめとしたグループライン内でシェアし
「今日どこどこ駅で○○のスピーチあるらしいよ」
「まじすか、いきます」といった軽いノリで足を運び、聴衆になる、というものです。

※もっとも、これは私の周りに強烈な選挙ウォッチャーが1人いて、同じ考えのひとが集まって情報をシェアする、ちょっと特殊な環境であることは理解しています。

ですから、
自分の周りでは誰もそんなことしてない、ひとりで投票行動以外のアクションを始めるのはハードルが高すぎるよ、という人もいると思います。でも、街で「ああこの人いいよな」と思える候補に偶然出くわしたとき、一人でも比較的気軽にできるアクションを書きたいと思います。

街頭演説は”うるさくて、意味がない”?

街頭演説、あるいはスタンディングなどの場で意識していることは、先ほどちらっと書きましたが自分の今参加しているデモや街頭演説が、もしミュージカルの一場面であったら‥ということです。

忙しい現代人は皆、それぞれの予定があり、自分のスケジュールに合わせて行動しています。
街頭演説を立ち止まって聞いている人間は一部ですし、自分のような世代はやっぱりすくないです。(街頭演説を聞き入る以上に、何かに抗議の意を示すスタンディングに参加するのは、ぶっちゃけ勇気がいるでしょう。)

興味がない、関心がない、ならまだ仕方ないのですが、中には「沿道で大音量で迷惑だ」「道路をふさぐな」等、あんた、誰目線?という反応や態度を取られることもあります。(街中で集会を開くのは許可をとってやってますし、ふつ~に権利ですからね…)

まあ「うるさい」と思うのは自由ですが、小さな声でぼそぼそやってたところで皆が話を聞いてくれるのか、
はたまたあなたにとっては騒音にしか思えないその声が、何を伝えようとしているのか?について、一ミリでも考えたことがあるのか‥。

また、もっといいコミュニケーション方法があるならぜひともご享受願いたいところだが、そういった考えの人にはたいていそこまでの熱意はなくて「とにかくこの私様が不快だからやめてほしい」ということが多いのですが‥。

※注※
テレワークの普及で、たしかに平日ど真ん中での街頭アクションや選挙カーでの名前連呼は、ビデオ会議に支障をきたすことがありますよね。。それを迷惑に感じることについては否定も非難もしません。
ただ、むやみやたらと候補の名前さえサブリミナル効果でたたきこめばOK!というのはそれこそ、「自分たちに利益をもたらしてくれそうな候補に、考え抜いて入れる」、という民主主義の選挙の本質からは逸れているし、有権者舐められてるなあ~とも思います

あなたの「民衆A」の芝居が場に説得力をもたらすかも?

はたしてミュージカルの場面のように、とはいったいどういうことなのかというと、
あなたが参加しているその集会や街頭演説が「なんだか楽しそう」「盛り上がっている?」「この人は人気があるのかな?」など、
”うるさい”で思考停止していない、のこり何十パーセントの観客(=通行人)たちに思わせること
です。

雑な例でアレですが、エリザベートの『ミルク』で、ルキー二とトートと取り巻きのカフェの連中しかいなかったら?
…盛り上がらず、みんなの怒りが観客に伝わらないのと同じで、演説マイクを握っている人と、支援者であろう、おそろいのジャンパーを着たりビラを持っている人が立って発信しているだけでは説得力がなく、「この人たち人気ないのかな」「慕われてないのかな」「寂しいな」と、通行人に思われてしまう。

よく選挙演説でマイクリレー(応援スピーチ)のようなものが行われているが、あれはミュージカルでいう、2番手3番手のソリストが、主人公の気持ちを受けて歌うソロのようなもの(?)。

ロミオに同調して『世界の王』に加わるマキューシオとベンヴォ―リオみたいな役割ですね(?)

そして私たちセリフはないけど場に出ている、役者の役割は「候補者を人気のある人間に見せるための演技」「台本にないガヤのセリフをいれて場面に説得力を持たせる事」だと思うのです。

「野獣は子供たちをさらっていくぞ!」とガストンが発したら「…!」と息をのむアクションをするのです。いやたとえ悪すぎだけども。笑

例の選挙ウォッチャーの知り合いは、候補者がスピーチのなかでパンチラインを決めた時、割とオーバーに拍手したり、「いいこと言った!!」などと発声したりして盛り上げておりました。

その時思ったのです。
この人は、マイクをもって話している「主役」を引き立てるため、徹底して良いアンサンブルの仕事をしているな~~とw
(最も、もとからリアクションがオーバーな方ではあるのですが(笑)、多少は計算してリアクションをやっている気がします)

実際ミュージカルをみていても群衆のシーンで、おそらく台本にないであろうアドリブのセリフが飛び交い、それが一つの「喧噪」シーンを作り出している様子を多々見ます。

中高で演劇の部活をしていたころ、

・アドリブが苦手なら、各々が何を言うか決めておくべし
・タイミングよく、空気を読んで発声し、シーンの最中バックのガヤガヤが途切れないようとにかく声を出し続けるべし
・空間を大きく見せるため、自分がどこに立ちどう移動するのかも考えて動くべし

等と言われたものですが、なるほどそれに近いのかもしれない、と思いました。

加えて自分は、「若者にしてはめずらしく街頭演説を聞きいっている人」「ジェンダー平等を訴える候補に心動かされている若年女性26歳」を所作やガヤで演じることで、「よく知らないけどこの人、若者や女性にきっと人気のある候補なんだな」という印象をあたえる芝居をこころがけています。

効果は定かではないですが、やってみると結構楽しいですよ。w


アンサンブル(聴衆)の名演が主役(候補)を輝かせる。たぶん

もちろん街頭演説への参加スタンスなんて、自由です。
聴衆に徹するのももちろんありだし、Twitterで実況しながら、友達とだべりながら、なんだか街頭演説を聞いていること自体、意識高い人みたいで恥ずかしいから誰かとの待ち合わせを装って聞く(数年前までやってたw)もアリかと思います。

しかし、幸か不幸か、大勢の意見や「空気」に流されやすいといわれる本邦ですので、どのくらいの人が集まっているか、どういう層が聞き入っているのか、そういうのが結果に響いいてくることもあるんじゃんないでしょうか。

この春、統一地方選で、投票+αなにかしてみたいという方は、よかったら実践してみてください。



おまけ↓

もちろん職場や家庭や学校内で特定の政党や候補に入れるよう誘導する慣習は心から滅べ!!と思います!!

あと他者から押し付けられた宗教に基づいた望まない投票と、
地域密着であるほど起こりやすいであろう、同級生のよしみで投票させるアレもな!!!!

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