もっと「take」しなきゃ、と思った話。
ご無沙汰しております、スミレです。
メンタル面の諸々を調整していたら、記事の投稿がすっかり遅れてしまいました。最近は遅れてばっかりですけどね、ハハハ……。
そして書く内容も特に決まらないままタイピングし始めてしまった次第です。
あ、noteに飽きたとかそういうことではなくてですね。なんというか、趣味にも周期があるというか。
昨年度の2月ごろはnoteのターン、それ以前は読書のターンって感じで、やりたいことリストのトップが入れ替わるんですよ。
最近はずうっと音楽を聴いて過ごしています。あと音楽繋がりでリズムゲームも触る時間が増えましたかね。先週の土日なんて自室からもほとんど出ずにイヤホンばっかりしていました。
今更ながら聴力が心配になってきた……音量は絞ってたから大丈夫だと思……いたい。明日は控えてみるか。
好きなことを好きなように楽しめるって、めちゃくちゃ幸せなことだと思います。だって私が聴力を失ったら生きていける気がしませんもの、心の栄養が摂取できなくなってしまうから。それくらい音楽が好きなもんで。
視力とか触覚とか、動く手と腕もそう。モノづくりで食っていきたいって思いながら頑張ってる今、どれか一つでも欠けたら毎晩泣くと思う。
今日、リングの制作の授業中に「指って大事だな」と感じました。
右手で、細い工具を鉛筆のように、親指・人差し指・中指でつまんで、薬指をリングに添えたら安定感が増すんです。小指はすり板にピッタリくっついてもらえば快適のなんの(言葉の使い方合ってるかな……?)。
今まで意識して来なかったし、特段大事に扱ってきたわけでもない指からの「give」にやっと気がついたのです。
ふとこう思いました。
私、身体から「give」されてばっかりで、「take」してなくね?
この場合の「take」は、健康的な行動だと考えています。私から身体にあげられる「give」って、それしか思いつかないというか。
頑張ってくれている身体のために。
食事で栄養を摂る。
しっかり睡眠をとる。
適度に運動する。
……あとは分からないけど、探せばたくさんあると思います。
私が私のまま生きていくために欠けてはいけない要素が、たった一つの身体にギュッと詰まっている。
むしろなんで今まで、特別扱いで大事にして来なかったのか不思議なくらいです。
好きな音楽を聴けなくなったら。綺麗な景色を見られなくなったら。何も作れなくなったら。誰にも言葉を伝えられなくなったら。誰かの言葉を受け取れなくなったら。日差しや風を感じられなくなったら。
考えただけでも悪寒がします。
ヤダヤダ、とんでもねぇ数の奇跡が降り積もったこの身体が悪い方向に変容するなんて嫌すぎる。強欲かもしれないけれど、嫌なもんは嫌。
せっかく授かったこの幸運に替えはないのだから、大事にしなきゃいけない。もちろん感謝もしなきゃいけない。
いや当たり前なことなんですけれどね。恥ずかしながら、私は蔑ろにしがちな生活を送っています。
これはちょっと、何か行動を起こすべきだと思うのです。とりあえず学校がある日の早起きは問題ないとして。
そうだな、用事がない休日は、近所の公園をフラッと歩くとか、そのくらいなら始めやすいかも。ただ歩くだけじゃつまらないし……その日の空模様を一枚撮るとか、道端に咲いているお花を見つけるとかすれば楽しいかも。
そういうのもいいけれど、もっと普段から意識できることってあるかな。私でいうと……猫背とはそろそろ向き合わないとダメかもな。ストレートネック通り越して逆カーブしてるんだもの。
……気にするくらいなら、まずは早く寝なさいって話なんですけれどね。今日はストレッチがてら「今日も一日ありがとうね」と言葉にして身体を労わろうと思います。
ここまで読んでくださりありがとうございます。
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