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祖父のお葬式で印象深かったこと2つ

 こんばんは、スミレです。
 以前『祖父のお葬式で疲れ果てた話』を6つの記事で紹介し、あれで終わらせたつもりだったのですが、「これも書いておけばよかったな」と思うエピソードがまだ残っていました。番外編のつもりで投稿しようと思います。


①使わなかった祭壇と、やらなかった法要

 宗派によって細かいところは変わるでしょうけれど、火葬が終わった後の遺骨は49日間、自宅で保管することになります。その時に使うのが「後飾り壇」または「中陰壇」という祭壇です。

 仏教において没後から49日間は、死後の行き先を決める裁判中の期間になります。つまり、故人はまだこの世にいるということになります。遺族たちは故人のために祈ったり善行を積んだりします。他にもやることはたくさん。

 私たちも祖父のために、10年以上前に使用した祭壇の部品を探し出しました。
 そして、使うことはありませんでした。

 理由は、法要ができるコンディションではなかったから。
 誰も住まないことになった空き家で、毎日ろうそくを灯し、お線香も焚き続けるだなんて危なすぎます。
 7日ごとに祭壇に供える、細かいルールだらけの料理は毎回手作りする必要があります、祖母の時はこれが一番大変だったと伯母が語っていました。今回も法要のほとんどを担う伯母は、癌で手術も経験し、今後も検査が必要な体調。
 喪主を務めた私の父は、関東の職場に戻らなくてはならず、1ヶ月以上も四国には留まっていられません。
 他の遺族らが手伝えばいいじゃない、と思うかもしれませんが、手伝えない事情というものもあります。詳しいことはこちらの記事を参照してください。

 祖父には悪いですが、49日法要なんてやっていられません。死亡後にやらなければいけない諸々の手続きをこなすのが精一杯です。

 ではどうしたのかというと、お寺に丸投げしました。
 言い方が悪かったですね。住職さんに諸々の事情を話したり、事前に法要のお布施をまとめて渡したりした上で、供養してくれるようお願いしました。
 あくまで今回の場合の話なので他のお寺がどうかは知りませんが。本堂の裏に位置する部屋に、お墓に納骨するまで遺骨を預かるスペースがあり、住職さんが毎日手を合わせに行くそうです。

 住職さんに了承してもらえたので、法要らしいことはしませんでした。もちろん祭壇の出番もなかったわけです。せっかく頑張って発掘したんだけどな()。


②厳かさ担当のスタッフさん

 通夜と告別式を執り行った会館(ホールと書いた方が伝わりやすいのでしょうか?)のスタッフさんたちは、遺族の精神面をサポートすることも仕事なのかな、と思いました。
 誰といつ話しても、常に物腰穏やかに、声色も柔らかいような静かなような、それでいて暖かいような。つい「私もこんな立派な社会人になれるかな」なんて考えてしまいました。

 が、火葬場に移ると一転。全員ではないのですが、主に骨上げを進行してくれたスタッフさんは、もう真逆。
 日常生活で全く使わない「厳かさ」というワードが脳みそから引っ張り出されてきました。柔らかさは少しあったような気もしますが、暖かさは微塵も感じられませんでした。

 例えが的確かはわからないのですが、演技中の役者と言った方がしっくりくるような。私も芝居の登場人物になったような錯覚までしました。
 通夜や告別式とは比べ物にならないほどの非現実感を味わいました。未だにはっきりと思い出せます。
 あの厳かさは、儀式っぽさを演出させるためだったのではないか、と予想しています。
 一口に葬儀関係の従業員といっても、役割は全然違うと知りました。


おわりに

 いかがでしたでしょうか。夜中ですが「この2つは一生忘れなさそうだ」と感じてからそのままの勢いに任せて書き上げていました。この記事が何かの参考になれば幸いです。
 ここまで読んでくださりありがとうございます。

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