新しい朝
激しい揺れと津波が襲った街の風景は、13年前の東日本大震災と重なる。諸事情があり、当時の私は募金以外は何も出来なかった。
そして13年後の私。あの頃より強くなり、様々な力こぶもついた。TVに振り回されず、新聞やSNSを眺めて、自分なりに考えるようになった。
両親を亡くした事も、私を変えた一因だ。2人はほぼ歳を同じくして亡くなったが、その年齢から今の自分の年齢を差し引く事で、自分の余命におおよそ検討がついたのである。
おそらく、私はこの先癌を患う。そうなれば、元気で若いうちにしなければならない事がおのずと見えてきて、そしてあまり時間に余裕がない事を悟った。メドがたてば、ニンゲンってよく動けるものだ。
私は朝を迎えている。遠く広がる未踏の砂浜の先は、目を凝らしても鈍く光るばかりでよく見えないが、素足が掴む真砂は、進むのに心地良いのだ。
ヨルシカの「藍二乗」にある「人生の価値は終わり方だろうから」というフレーズ。多分ここに正解を見出した。
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