見出し画像

Ⅲ ちいのさん Tokyo

2022年6月

 朝が来ると、まずカーテンと2カ所の窓を開ける。ふとした瞬間に、世界はこんなに美しいんだ、と感じる。

 部屋の片付けついでに古いパソコンを処分しようと、久々に開いてみた。初期化したら、リサイクル業者に持って行こうかな。パソコンを開くと、「ちいのいち」というタイトルの原稿がデスクトップに入っていた。
 その原稿は、元恋人からもらっていた脚本に上書きする形で、5年前に書いたものだった。鹿児島への行きか帰りか、移動中に書いたような気がする。瑞々しい文章に記憶を呼び起こされて、もっと読みたくなった。もっとちゃんと書いておけばよかった。そのときの気持ちや情景は、間違いなくそのときの私だけのものだった。それなら、今の私にしか書けない文章だってあるはずだ。

 2017年、私は何をしていただろう。母を蝕んでいた癌は、その頃にはもう存在していたのだろうか。

 私に書くきっかけをくれた人は、私に「書いてごらん」と、何度も言ってくれていた。日常をなるべく素朴に素直に書いていけばそれが一番いいものになるよ。

 ちいちゃんは、都庁に勤めている。私から見ても彼女にぴったりの部署に、この4月から異動になった。彼女が心身をすり減らさずに働けているだろうということは、私を安心させた。もし彼女が心豊かに働けているなら、私の喜びだ。それでも3年に1度の頻度で異動の機会はやってくる。そんな環境であっても、場合によっては環境を変えたとしても、彼女が組織に振り回されずに、自分自身の力で人生を切り拓いていくところを、私は、見てみたい。

 池袋の改装した新文芸坐に行った。自分への誕生日プレゼントだった。古き良き、みたいではなく、ただ綺麗な館内に、何かが失われてしまったような気分だった。オールナイト3本目の映画は、吉野監督の「君は永遠にそいつらより若い」だった。観たことあるし、2本まで観て3時半くらいに歩いて帰ろう。

 映画の上映時間になると、マイクを持った人が前説をし始めた。慌てて携帯の電源を入れ直し、メモをとった。「ディナーインアメリカ、この作品は、ほんとは3本目にしたかったんですけど、どうしてもみんなが寝る前に見てほしかった。私は、パンクというのは、多数派に納得できない人の、嘘をつかない行動のことだと思ってるんですね。」
 東京で大学生をしていた人たちは、こういうカルチャーに触れることができていたんだ。そのことが羨ましかった。2本目で帰ろうと思っていたのに、前説を聞いてしまったら、観たことのある映画で私がどう感じるのか知りたくなった。居眠り込みで、オールナイトを完遂したい衝動に駆られた。5時の朝日に染まった池袋は綺麗だった。

 6つも年下のお隣りさんと、映画を観に行くことになった。近所の居酒屋を開拓した帰り、一緒に近所の銭湯に寄った。銭湯だと普段話せないことまで話せるのは、心も裸になるからかもしれない。
 彼女は、いわゆる文学や、映画のことに詳しかった。「そういうのちゃんと勉強してきたんだもんね、知識があったら楽しいだろうし、羨ましいよ」そう言うと、あなたもでしょと言って笑った。他の人が粗末にしてしまいがちなことを、雑に扱わないように感じるらしかった。そうか。あなたからは私はそう見えた瞬間があったんだね。

 気づいたら、映画の見方や、芸術の感じ方が、他の人とのコミュニケーションで私を助けてくれる一つのツールになっていた。「これ好きそう」と映画や小説、美術展を紹介されることが増えた。あの頃から育てた私の豊かさが、友人の心に寄り添うこともあった。

 シンクでお皿を洗っていた。「ついでに洗うからそこ置いといて。」「ねえ、このマンガ買ってきた!絶対好きだと思うんだ〜」そう言われたとき、皿を洗いながら、この文章をどうやって終わらせたらいいのかわかった。「わかった!」と声に出ていた。

 私にとって書く理由は、2017年、ただ一人の人に褒めてもらいたいからだった。書いてごらんと言われたからだった。その人と話すことが、私にとっての「表現」だった。2022年、私にとって書くこととは、自分を知ることだ。その時々の自分だけの気持ちを残しておくということは、いろんな人の考え方を知って、自分が変化してゆく記録だった。大切な人、もの、自分の気持ちへのラブレターになっていた。その時々で、一生懸命考えて、言葉にして、私の中にあるものを形にして表現するということだった。

 大切な人たちとの関係性が変わっていっても、その人と一緒にいたことで築かれた私の豊かさは、私の財産となって私を助けてくれている。自分の中で育てた豊かさと、出会ってきた人全てがつながっている。これで最後だと思っていた。違った。ここから始まるんだ、私たちは。



ちいちゃんの誕生日プレゼントに、この小説を贈った。前に自作の小説を読ませてくれた、お父さんにも見せてあげてね。

ちいちゃんは、私の書いた文章を宝物と言ってくれた。

自分とちいちゃんのことを書いたけれど、主題は他にあった。

私たちにこんな未来が待っているなんて想像すらできなかった。他人の決めた幸せの基準を気にして、早く何者かになろうとして焦っていたあの頃の私に教えてあげたい。今まで最善と思って選んできた選択が全て正しかったなんて言えないけれど、間違いから正しさを知り失敗から学びながら、少なくとも光の方へ、私は行動してきたと思っている。

3ヶ月近くたった今、私が書いた通りに現実が動き始めた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?