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東北の山の話

映画の上映まで微妙に時間を持て余し、ベルクでビールを1杯だけ飲んでたら、ますむらひろし先生の絵と文が貼ってありまじまじと眺めました。

特に文章のほうは、「東京に出てから東北の山特有の不思議な雰囲気に気付いた」という話をしていて、あ、私も同じだーと。 植物も獣もいて豊かではあるけれど、ほんの少しだけ寂しさを感じるあの空気は何なんでしょうね。

ふと思い出す10代の時。原発事故の影響で土や植物を無闇に触れなくなり、線量が…除染が…と言われて育った時期があります。道路の凹みに溜まった水さえ踏むなと注意され、学校の帰り道にススキをつんでみたり、ぺんぺん草を鳴らしてみたりしていた日々が一気に変わってしまった。

でも周りの大人が、せめて長期休みだけは何も気にせず過ごせるようにと尽力してくれたので、度々熊本や広島などに滞在し、山や川で遊んでは「こっちの地方の山、地元となにか違う!」と驚いたものです。虫たちのサイズが大きく、緑もずっと濃くてまばゆい。生命力に満ち満ちている。「東北の山の雰囲気」を理解したのは、その時が初めてかもしれません。

ただ、そっちがうらやましいかと問われるとそうでもなく、東北の山(というか祖母宅の山)には並々ならぬ愛着があります。

最低限の手入れしかされていない“観光地じゃない”山である祖母宅は、家までの道はもちろん舗装されていなくて柵もなく、脱輪したら死ぬか大怪我のところを入っていきます。木に囲まれて常時薄暗く、苔や羊歯が茂っていて、1日いても飽きません。そこにいる間は全く人間と遭遇せず、虫と獣と植物の領域でぽつんと過ごすのが楽しいし、夜は真っ暗闇で一歩先の地面すら見えず、心底怖いところも好きです。

どんどん山奥に入って竹藪で石投げ(何回跳ね返ったか数える遊び)や川でサワガニやドジョウを探してあそんでいると、獣の罠にかかったか失踪したかと親が探しに来るくらいには静か。昔祖父が葉っぱまみれで山中に倒れているのが見つかり、狐に化かされたなんて話を教えられたこともあります。
幽霊や妖怪を「いない」と否定しても面白くないので肯定している派ですが、確かに1人で山にいるとき、背後に視線を感じて振り返っても誰もいない瞬間があってザッと血の気が引きます。アニミズムというか、民俗学というか、怖くてどこか侘しさを含んだ雰囲気が色濃く感じられるのが東北の山だなと。

田舎のしがらみや家父長制、普通の道から外れることが許されない環境は苦しくて居心地が悪くて大嫌いだけど、都会の人の多さやうるささに疲れたとき、あの山を恋しく思います。

この奥に入っていくと竹藪

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