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名もなき花を愛でる

こんばんは。
今日はちょっと変化のあった次男と夜のお散歩へ。
駅まで歩いてスタバでコーヒーじゃない暖かくて甘いものを買って
そこから川沿いまでひたすら歩いて桜を見ながらおしゃべりをしました。

今年の桜も美しい。

でも、今日の主役は桜ではありません。

そう、写真のような道端の花。

春になったことを感じるのは
いつもそこいらに咲いている雑草のような花です。

築50年を過ぎている我が家を見てくれた建築士さんと
話していた時のこと。

「僕の海外の友達が言っていました。
日本の雑草はどうしてこんな素敵なんだって。」

私の中でこの言葉って
世界がひらけるきっかけだったんです。

人生の中でたまに出会えるこういう言葉ってありませんか?

大げさに言えば今までよりも世界が輝き出すような言葉。

これまでボワっとしていたものが
はっきりと色を持って見え出す言葉。

その言葉に触れる前も私はそこいらの道端で
植えられたんじゃなく咲いている花がすごく好きでした。

なのに、自分の中で好きだと思うだけで
口に出すことはなかったんです。

子供達が商店街にある保育園に通っていた時
疲れて心がしんどい時は、お花屋さんでお花を買っていました。
でも、そのお花屋さんがなくなったあと、
周りを見渡したらお金を出して買わなくても
可愛くてたまらない花がいっぱい咲いていました。

昨日の散歩中、寒くも暑くもない気持ち良い夜風の中で
次男は学校の出来事をずっと話していて
それを聞きながら、そっと心でつぶやきました。

『あぁ、そうか。
私たちはすぐにお花屋さんで売っているお花みたいに
名前があって、みんなが認識している幸せを
身を削ってでも手に入れようとしてしまうんだ。
でも、名前もなくて、本当はみんな持っている幸せを
なかなか愛おしむ時間が持ててないだけなんだな』

ちょっと、次男のことでしんどいことがあったからかもしれませんが
心にふっと降りてきて、きっとこれから先も
ずっと残る思いでした。

誰かが決めた幸せを掴むために
自分の身を削る必要なんてないよ。
誰かの価値に合わせるために
自分の気持ちを殺さなくてもいいんだよ。

って伝えてあげたい。

なのに、私たち親が一番、名のある価値に縛られていたのかもしれないなと
反省しながら、次男のおしゃべりを聞いていました。

我が家はみんなが同じサイクルで生きていて、
それぞれの思いを共有してしまうところがあります。

だから、誰かが苦しいと
みんなが苦しい。

特に一番小さな次男が苦しんでいると
親も兄も心をぎゅっと掴まれたような
やるせない気持ちになってしまっていたのですが、
ようやく前に進めそうな予感です。

それもこれも
名もなき花のおかげです。



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