教えるよりも魅せる子育てを。#監視員さんと呼ばれた夫。できればヒーローと呼ばれて欲しい、妻の願い
今日は、夫と子どものお話です。
監視員さんと呼ばれた夫
パパ、娘はこんなことを思っています。
娘が小学5年生だった頃のある日の夜。
私は娘とふたりきり、湯船の中。湯気に包まれながら、(今日も一日、なんとかこの時間まで辿り着いた)と安堵でぼんやりとする私に、彼女は小さな声で話し始めました。
「パパってさ、有言不実行だよね。」
子どもとはそのような視点で親を、大人を見ているのかと、ぼんやりしていた頭に予定していなかった緊急速報が入りドキッとしながらも、なんとなく夫の日頃の言動に思い当たる節があるぞ、と思いながら話を聞くことに。
プールサイドを走る監視員さん
娘は続けます。
「パパって、パパって言うより監視員さんみたいだよね。私たちがやることをみていてダメ出しばかりして。高いところから見ていて、ちょっとプールサイドを走ると『ピー!!』って笛を吹く、プールの監視員さんみたい。」
なるほど。そんなふうに見えていたのか。うまいこと言うな。
と、私はしばし唸りながら感心していました。
娘はさらに続けます。
「でもさ、パパが私たちに注意してくることって、ほとんどパパは守れてないことだよ。」
これの状況を想像してみるとこんな感じでしょうか。
ピーピーピーピー笛を吹きまくりながら、自分はプールサイドを走りアクロバティックに飛び込みもしちゃうプールの監視員。
おもしろい。おもしろすぎる!と、私はますます唸ってニヤニヤしていました。しかし、笑っている場合でないのはお父さんです。父親として、人として、非常に残念な方向に進んでいます。
『ざんねんないきものシリーズ』に載せてもらいたいぐらいです。
たくさん出てきました。有言不実行案件。
娘の様子は悩んでいるというより、「だめね~。」という感じで完全にあきれ顔。
女の子ですから、小学校高学年にもなると精神的にはとっくに父親を追い越している部分も感じます。いろいろなことを考えているんだな~と、娘の成長を純粋に喜びも感じつつ、「パパのどんなところが監視員さんなの?」とたずねると、出てきました。いろいろと。
あら~。
改めて文字にすると、これはひどい(゚Д゚)
子どもに何かを求めるのであれば、求める側がそれを体現することが大前提
『教える』のではなく『魅せる』子育てを
人として「あなたは完璧です!」と認定されたわけでも証明されたわけでもないのに、親になったとたん、私たちはその目の前の小さな生きものよりも上に立っているように勘違いして、どうしてあれこれ教え込もうとしたり指図してしまうのでしょう。
「立派な大人になって欲しい」
「自律した人になって欲しい」
そう願うのは最もですが、そもそもそれを体現できていない人に言われたところで、子どもたちの心には届きません。
薄井シンシアさんは著書の中でこんなエピソードを書いています。
子どもに求めるのならば、まずは自分自身が体現する。
体現できないことは言わない。
この本を読んで「なるほど」と思ってから、私は自分ができていないことは子どもに言わないようにしています。その方がそれ以前よりも、子どもたちと私の関係も良くなったように感じています。
「大人だって不完全です!」って、言えばいいんじゃない?
夫だって、たとえば会社で自分ができないことを他者に強要するようなことはしていないと思うのです。もともとは、穏やかな人ですから。
でも、子どもをしっかりと育てなければならないと思うからか、どういうわけか自分がクリアできていない課題を子どもたちに押しつけてしまっているこの現状。
子どもたちが生まれたとき、無条件であんなに愛おしいと思った我が子。
今、その子どもたちと過ごす限られたこの幸せな時間。
こんなふうに子どもたちと溝が深まっていくのは
もったいない!!!
自分ができていないことを子どもに伝えるとき
「パパもできてないんだよね~。」
と、クスッと笑って
「一緒にやろう。」
と言えたなら、たちまち子どもたちのヒーローになれるのにな。
いつも悪いところを探して笛ばっかり吹いてる監視員よりも
かっこ悪くても
できないこといっぱいでも
ニコニコ笑って頭を掻いて
「パパってダサダサだけど、君たちといると楽しいんだ!」
って、ダサダサを笑いに変えちゃうお父さんのほうが
絶対絶対
かっこいい!!
教えるよりも魅せて、パパ!
さて、これをどうやって伝えるか。
今から考えます。
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