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電燈色の思ひ出

 今の家に引越す際に、私は照明を買ひました。其れ迄、私は自分で照明を買ふといふ經驗がありませんでしたので、其れを選ぶ時には思案に時間を要しました。此れ迄に住んだ家には始めから照明が附いてをりまして、考へる必要がありませんでした。折角自分で選べるのなら、宜い物にしたいといふ慾も出ました。目星き物見附けて、通販に注文してから受取る迄の一週間、私は暗闇の中で過ごしました。
 其れが遂に届きました。中心部から五つの電燈が、まるで幹から枝分かれした果實のやうに廣がつてゐるデザインです。アンティーク風の金属部分の質感も、間近で見ると微妙ですが、天井に設置されたものを下から仰ぎ見ると其れなりです。私は結構気に入りました。
 LED電球を用ゐてゐますが、白熱球と同樣の色をしてゐます。此の黄色味の色彩は、そこはかとなき暖かさがあります。此の白熱球風の素直な色も、私を滿足させました。
 私はふと思ひ返してみました。今迄氣にも留めませんでしたが、此れ迄に用ゐてゐた照明は何色だつたのでせうか。もう少し白かつたかも知れません。例へば螢光燈は眞つ白のイメージがあります。大學の寮は、實家は、一體どんな照明だつたのでせうか。

 其れから數ケ月が經ちました。家具も揃つてきました。居間には黑革のソファ、木製のテーブル、ペルシアを模した絨毯、等々を置いてゐます。自分で選んだ、自分の好きな物を、自分の稼ぎで蒐集する喜びを噛み締めてゐました。
 或る夜、ソファに腰掛け煙草を一服してゐた時、突然に何かの質感に支配されました。何だかは分かりません。でも、かういふ雰圍氣を何處かで知つてゐるやうな…。靜かで朧氣な、暖かい質感…。
 暫くして、私が感じた雰圍氣が、母方の祖父母の家の其れだと氣が附きました。

 幼き頃、祖父母の家に連れられていく機會も多く、例へば夏休みなどは何泊もしながら其處で過ごしたものでした。
 海に近い町に在りますので、祖父は私を車に乘せて漁港の邉りをドライブに連れていつてくれました。
 祖父の御氣に入りは香取號といふ漁船だつたやうでした。何かのイベントで一般人に體驗乘船をさせてゐたことがあつて、私と祖父母の三人で乘せてもらつたこともありました。其の香取號が停泊してゐる漁港です。「關係者以外立入禁止」の看板も豪快に無視して、近くまで寄るのです。
「ほら、香取だぞお」
さう云ふ時の祖父は滿足氣です。
 其の後、歸りに自販機でアイスを買つてもらひます。車内で食べながら歸宅するのです。燈臺や太平洋の荒波を臨みながら食べるアイスは格別です。其れが御決まりのドライブコースでした。

 祖父母の家での夜は退窟です。することも無いので、炬燵に肩まで潜つてテレビを見たり漫畫を讀んだりしました。祖母は晩御飯の支度、祖父は風呂に入つた後は御酒を飲んでゐます。炬燵の中で私の足と祖父の足が觸ると
「おお、しやつこい(冷たい、の意)」
と云つて笑ひます。私も眞似をして云つたりしました。
 照明が搖れるやうなぼんやりとした質感、靜かで朧氣な暖かい雰圍氣の中で、私は微睡みへ落ちてゆきさうになるのでした。私はそんな夜が好きでした。
「こらつ。眼が惡くなるから、夜に漫畫を讀むのはやめなさい」
と突然、注意されます。さうすると祖父が就寢する迄、漫畫の續きを待たなければいけませんでした。

 私が大學を卒業するかしたかの年の頃。此の頃には私も實家を出て久しく、祖父母とも年に一囘か二囘會ふくらゐでした。正月に挨拶に伺つた時も、とても久し振りに感じました。
 親戚が集まつて食事もたけなはの頃、裏で料理をしてゐた祖母、母、叔母を呼んで、全員集まつたところで祖父が話し始めました。
「かうして皆で揃つて正月を迎へられて、良かつた…。此の場で皆に云はなくてはいけないことがある…。先日の檢査で再び腫瘍が見附かつて…。ええと、良性か惡性かは未だ判別できてはゐないんだけれども…。いづれにせよ、何日かしたら入院、手術をすることになつてゐる…。多分大丈夫だと思ふけれども、皆には心配を掛けてゐること、申し譯ない…」
泣いてゐる祖父を此れ迄見たことがありませんでした。其れだけ、深刻な事態であることが分かりました。其れでも何故か、何の根據もありませんでしたが、祖父が死んだりするやうな氣配は感じませんでした。
 其の後、祖父の手術は無事に成功し、暫くして退院したやうです。然し、以降は祖父母に會つてをりません。私も仕事やら何やらで忙しくなつてしまひました。

 年末の或る日、私は此の懐かしい質感の正體を思ひ出してゐました。靜かで朧氣な、暖かい雰圍氣が、黄色味の色彩の電燈を介して蘇つたのでした。今年は正月も會ふことができないけれど、年賀狀くらゐは出してをかうと思ひました。

 謹賀新年
 明けましておめでたうございます。
 今年は殘念乍ら、
 新年の御挨拶に伺ふことができません。
 申し譯ございません。
 然し仕事も落ち着いた頃、
 多分春頃になると思ひますが、
 直接御挨拶に伺はうと思ひます。
 其れ迄、
 御爺樣も御婆樣も、
 御身体を大切に、
 どうか御元氣で。

「電燈色の思ひ出」完。
 令和三年一月廿五日

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