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「メタバース進化論」を読んでの感想と「声」のコスプレについて

はじめに

「メタバース進化論」は、バーチャル美少女ねむさんが実施された調査を踏まえ、実際のあちらでの生活を通して考えられたことが述べられており、今のメタバースを明瞭に言語化されていると感じました。 さて、リアルの私は音声に興味を持つ1学生であると同時に、VRChatにほぼ毎日入るメタバースの1住民でもあります。 そんな音声に興味を持つ学生であり1メタバースの住民として、コスプレとしての「声」について私が抱いている疑問をこの機会に提起させていただければと思います。(便乗していくスタイル)

感想のような何か

兎にも角にも、まずは感想ということで。 「メタバース進化論」は非常に曖昧なメタバースをバーチャル美少女ねむさんが実施された "ソーシャルVR国勢調査2021"で得られたデータを用いて"住民"たちの視点で捉え、実際に仮想空間で生活されたねむさんの経験も踏まえて、 現在の状態と今後の可能性を言語化することを試みられた書籍です。(だと思います。)

既にVRChatやNeosVRなどの住民であれば、何気に感じていたり漠然と考えていたことが言語化されているため窮屈かもしれません。 もしくは、今のメタバースについて明瞭に捉えられるため色々考えるのが好きな人にとってはとてもいい書籍だと思います。 むしろ、メタバースには入らないがメタバースに関連するビジネスをしたいと考えている人には必ず読んでほしいところです。 読んだだけではわからないことのほうが多いとは思いますが、メタバースの独特の空気感が感じられるのではないのでしょうか。 特に、各々が容姿や肩書から開放されなりたい自分でコミュニケーションの場に立ち、デザインされた人物像を評価することなく、むしろ相手の性格にフォーカスして接しているというのは奇妙に映るのではないかと思います。 性格にフォーカスを当てる人が多いからこそ、多様な人物像を受け入れてくれやすいという環境も奇妙なのではないかと思います。 (現代では容姿や肩書が性格に先行して評価されたり、こうあるべきという概念が押し付けられたりすることが多いため。) この本のはじめにでも書かれていますが、我々住民のことを認知するわけでもなくエゴと過剰な期待で世界を作ろうとした先は衰退しかないので…。

さて、「なりたい自分になれる」ことを「名前」「アバター」「声」の3軸で述べられているのは、漠然とした考えはあったけれどもはっきりと意識しないところで興味深かったです。 また、そのように「なりたい自分になること」、リアルの容姿や肩書に縛られることなく、内なる自分の様々な側面を積極的に探し表面化させ活動させることを「分人」を用いて、 メタバースにおけるアイデンティティとはなにか、また「分人」が経済において今後の最小単位になるのではないかという話も非常に興味深かったです。 私は現在の私ではない別の私(完全に独立した私)を作ろうという思考でしたので、別の側面を表面化させるという考えは新鮮でした。

もう一つ、興味深いなと思ったのはファントムセンス(VR感覚)についてです。 容姿や肩書といったメタバースであれば置き換えやすいものではなく、感覚器官もリアルから開放されるのだと。 私も顔を撫でられると撫でられてる感あるのですが、さすがに人として戻れなくなりそうという結構否定的な考えを持っていました。 ただ、先ほどの「分人」というか、私の中のメタバースで生きる側面が感じていることだと考えれば嫌悪感よりも積極的に肯定できそうだなと感じました。 (リアルでどう見られるかという要素がある程度排除されるため。) リアルの肉体から脱却し、自分の思い描く「アバター」を得たメタバースの住民である"我々"は何を感じどう生きるのかというのは面白いテーマだと思いました。

先程も書いたように、この本でメタバースの空気感というのはある程度捉えられると思います。 しかし、言語化されているため非常にきれいな世界、もしくは見方によってはこうあるべき(例えば、なりたい自分になるべき)というのを押し付けられている印象を受けるかもしれません。 実際は決してきれいごとばかりではないですし(意思疎通の齟齬によるコミュニティの崩壊やいわゆる"お気持ち砲"など)、誰もこうあるべきという脅迫をしないというか、むしろ他人がどう考えて生活しているのかというのは案外無関心なので自分の思うように生活すればいいのです。 しかし、そういったより細かい空気感というのはこの本からはわからないところなので、読んで興味を持たれたら実際に足を踏み入れることをおすすめします。

我々は「声」のデザインに何を求めているのだろうか

ここからは、「アイデンティティ」のコスプレの3軸のうちの一つ「声」、とりわけボイスチェンジャーについて私の考えと疑問の提起を図りたいと思います。 言葉として、“性格"と"キャラ"を使っていますが、前者は"自分のなりたい人物像”、後者は"既に存在しているキャラクター、人物"という意味で分けています。(つもりです。)

まず、私は"今の私ではない私を創造したい"という欲求を持っています。 今の私は、非常にひねくれており些細なことを四六時中考えそれを止められないので疲れるんですよね。 今の性格が疲れるなら、今の思考から離れた別の思考をする性格を自分の中に作ってしまえばいいと考えたわけです。(安易な考え) ただ、声と思考が紐付いている(頭の中で喋る私は地声のため)と考えているため、地声で活動するとどうしてもリアルの"私"を表に出てしまうとも考えるわけです。 要は、別の側面をさらけ出すには気恥ずかしさが先行するというか、俯瞰してみる私の中の私が私を刺しにくるといった表現が適切なところでしょうか。 そうであれば、容姿だけでなく私の声も別の何か変換してしまえばいいのではないかと、作った性格と変換後の声を紐付けることで思考を分離できる、俯瞰した私が刺しに来れないのではないかと考えています。 この辺が、音声系に興味を持つ一因です。(もう少しいい感じに書きたいのですが、どうも文字に起こすのが下手)

では、声を変えるにはどういう手段が取れるのか。大別すると、自力で頑張る(いわゆる両性類声の獲得)方法と何かしらの技術にサポートしてもらう(この技術を声質変換といいます)方法でしょうか。 前者は私にとって過程から気恥ずかしさを覚えてしまい、また覚悟も足りなかったので、比較的簡単であろう(だってサポートしてくれるし)後者にフォーカスしたいと思います。 声質変換は、「恋声」や「バ美声」といった地声のピッチやフォルマントを直接制御して理想の声を創造する方法と「ゆかりねっと」や「voidol」のように特定のキャラの声そのものになる手法の2種類に大別できます。 (ゆかりねっとは厳密に言えば声質変換ではないですが…) しかし、前者は不断の努力と適合率が高くなければ画一的な声もしくは一般に「ケロる」と言われる聞き取りづらい声になりやすく、後者はそもそも画一的な声になることを目的としています。 このように、「メタバース進化論」でも書かれているように「声」に関する技術はまだまだ発展段階であり、「アバター」のように自由にデザインすることはできません。

ここでやっと私の疑問に入るのですが、『「アイデンティティ」の確立において、声質変換というのは何を目指すべきなのか、声質変換に何を求められているのか』と言うのが私の疑問です。 声質変換は、自在な声を想像できるツールを目指すのか、何か特定のキャラと見分けつかないように変換できるツールを目指すのか、それともそれ以外の何か別の目指すべきところがあるのか…。

自分の中の別の側面に焦点を当てて自己確立する時に、その側面の「声」として既存のキャラを当ててもいいのか、それとも何かキャラをベースにしつつも自分で作りたいのか、はたまた0から作りたいのか…。 この項の最初に、声と思考が紐付いていると考えていると言いましたが、それに沿うならばなにか特定のキャラになることはそのキャラの思考に自己が引っ張られることを意味するのではないでしょうか? 例えば、東北ずん子であれば「淡々としたお姉さん」というイメージと共に「サイコパス」というイメージもあるのではないかと思います。(YouTubeとかニコ動で投稿されている動画の傾向的に…) 東北ずん子の声になることは、サイコパス的な思考をする(特定のキャラのイメージを崩さないように考える)ことからは脱却できないのでしょうか。

逆に、キャラというのはただのラベルだとも考えられるのではないでしょうか。 なりたいアイデンティティが、「落ち着いた大人な女性」であれば結月ゆかりの声が、「どこか一歩引いたような子供」であれば東北きりたんの声が思い浮かぶのではないのでしょうか?(人による) この場合、自分のアイデンティティが先行するので特定のキャラの声になることには抵抗がないのではないかと思います。

また、ある特定のキャラの声になることは同一空間に同じ声が複数いる状態になりやすいです。 VRChatやNeosVRなどにおけるアバターであれば、同じ容姿でも色や髪型、服、アクセサリーで差別化が容易にできます。 しかし、声に関しては手法にもよるのですが差別化が難しいです。 この状態にストレスを感じるのか、それともイントネーションや語尾など話し方で差別化できるからストレスは感じないなのか。

今の側面ではない別の側面を活動させる時に、「声」を新しく当てたいが特定の声、画一的な声にしかなれないことは誰かと同じになってしまうから「アイデンティティ」の確立を侵犯すると考えるのか、 それとも現在の自分の「声」からは脱却していて大まかな性格に紐付いた「声」を選んだだけで「アイデンティティ」はこれから作っていくものだから侵犯しないと考えるのか、 なかなか考えつかないですね。

この問題は何か明確な解を持つものではないと思います。 あなたは、「アイデンティティ」の確立において「声」をどう捉え、「声」のデザインに何を求めますか?

おわりに

かなり読みづらい文章になった感、そもそもそんなこと考えて生活しとらんわ!と書かれる感が否めませんが、「メタバース進化論」の感想と私の疑問を提起させていただきました。 ぜひ、「声」についてどう思うか色々な意見を聞かせていただければと思います。 ツイッターなりDMなり、ここのコメントなりVRChat(だいたいオレンジステータスですが…)なりで共有してください!

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