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障害者への上から目線に思うエトセトラ。

先日、岸田奈美さんのX(旧ツイッター)でのスペース放送を聴いて思ったことがありました。

岸田奈美さんが、ダウン症って天使みたいとか、純粋だとか、癒されるとかって言われるけど、言ってる人の感性は悪いものじゃないと思うけど、めっちゃ上から目線だなぁって感じる、っていうようなことをおっしゃってて。ダックスフントを褒めてるみたいな、犬かよって。

で、私、昨日買い物に出かけた時に、お父さんに抱っこされた多分2歳くらいのダウン症のニコニコした女の子を見かけて、「あぁ、かわいいなぁ」って思ったんですよね。生まれてきてくれてありがとうって思って、泣きそうなくらい。

私は大学生の19歳の時に妊娠したのですが、出産前診断でダウン症だとわかっても産もうと決めていました。中絶を選んだ人を責める訳ではありませんが、それでも私には目の前にいた女の子がすごい奇跡のように感じてしまって。娘は結果、健康体で生まれてきましたが。

そしたら、岸田奈美さんのスペースの言葉を思い出して、これは上から目線?だとしたらどう思えばいいんだ?となったのです。私はダウン症の当事者でないから、これがどう捉えられるかは分からないまま。

思い出したのは、以前私が働いていたA型作業所にダウン症のクニ子さんがいたのですが、もう笑っちゃうくらいいつも文句言ってるし、しょっちゅう怒ってるし、もうちょっと天使で純粋でいてよーって言いたくなるほど。クニ子さん、懐かしいな、元気かな。

私の精神や発達障害に関しても、確かに上から目線って何気に傷つくんですよね。可哀想だとか気遣いだとか、じゃあどう思えばいいのよって話ですね。そんなことを言われた方も傷つくだろう。考えてもらえているだけで感謝するべきだとも思ったりします。

嬉しかったのは、夫が職場に来たお客さんがヘルプマークのふだを付けていて、前はどう対応したらいいか分からなかったけれど、私と出会ってから普通に接することができるようになったと言ってくれたこと。

この「普通」が嬉しかった。前は不自然な対応になっていたらしく、そして、それが伝わったのか、そのお客さんとその親御さんが夫に感謝の手紙まで書いて下さったのでした。

障害をギフトとして見て、下から目線になってくれる人もいる。でもそれはそれで、照れ臭かったりありがたかったりもするけど、それはそれで、私の場合は的外れかな。

ちょっと切ないのは、岸田奈美さんのダックスフント、犬かよ、で思い出したけれど、発達障害って子どもの時は元気いっぱいだねーとか個性だよね!ってボランティアをやっている人も、大人の発達障害者に対してはなんかスルーだよねって思うと、子犬の時だけ可愛がる人みたいだなって思ってしまうのでした。

でも、配慮とか、同情とか、何にしても、人の善意はできるだけ卑屈にならないでありがたく受け止めたいものではあります。

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