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思春期サマースクール in ロンドン

高校1年性の頃、姉がロンドンに住んでいたので、夏休みに姉のフラット(マンション)に泊まって、しばらく近くの語学学校のインターナショナル・サマースクールに通うことにした。

とある授業で、すぐに「オーキードーキー(Okie- Dokie)」とOKなのか相槌なのか「さてさて」と訳せばいいのか、陽気に声をかけるのがお決まりの女性の先生が、「世界にはなに人がいるかみんな答えてみて」と私たちに言った。

15人くらい、たぶん10カ国前後から集まる教室でみんなが、イギリス人!中国人!ポルトガル人!ドイツ人!と色々とあげていき、だんだんと私の選択肢が狭められていった。そして、先生に当てられると、私はとっさに「ユダヤ人!(Jews)」と答えてしまったのだ。

今もだけれど、無知だったあの頃がとても恥ずかしい。

すると、とある女の子が「それは国籍じゃなくて宗教信者のことじゃない?」と言ってハッとした。

先生はなぜか気まずそうであたふたとしていて、私は何か悪いことを言ったのだなという気がしたのだった。そこがイギリスだったという背景を今考えると、不思議でもない。

それでも、世界各地から集まった無邪気なティーンエイジャーの若い子たちが集うクラスは、すぐにいつもの明るさにもどっていった。

今思えば、家庭も政治も戦争も、大人の都合にいつも付き合わされる、ある意味弱いというか無邪気で若かった私たちだからこそ、クラスメイト同士に国境を作らない雰囲気があったような気がする。

あの頃の良い思い出があったからこそ、国際問題が起きるとき、私は思春期の頃にタイムスリップするのだ。外国人問題でも、その裏に外国人の子どもが見えてきて家族が心配になる。

イギリスの領地だった香港の問題のときもそうだったけれど、帰国してから、10代の頃にイギリスで出会ったいろんな国の人たちが、敵も味方も関係なく、こころの中でよく交差する。

香港人も、中国人も、ロシア人も、ウクライナ人も、高校生のあの頃は、私とはだけれど、屈託なく話したのにね。

あの人の血、あの人の土地。それぞれがいまも無事で平和であったらいいのに。そうありますように、なりますように。

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