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ショートショート『眼鏡』

父が死んだ。
それなりに高齢だったが、寿命を迎えるにはまだ若かった。
溌剌とした人だったが、そのためか急性で悪性の病気にかかっても発見が遅れた。
病気が分かってからわずか2ヶ月程で他界した。
しかし幸いだったのは、苦しまずに息を引き取ったことだ。
家族に看取られながら、安らかな最期を迎えられたと思う。
急なことに私も動揺したが、通夜葬式の準備に追われ、ゆっくり感傷に浸る暇はなかった。
それも滞りなく終わったところだ。

忌引の最終日、実家の居間で母とようやく一息ついていた。
父の死の直後は取り乱していた母も、少しずつ心の整理をつけているようだ。
ふと、父の今際の言葉を思い出した。
「あいつに眼鏡を買ってやれ」
あいつ、とは母のことだろう。
父は口数こそ少ないが、茶目っ気のある人で、母との喧嘩らしい喧嘩は見たことがなく、私が実家を出てからも2人はそれなりに上手くやっていたようだった。
母は年々視力が落ちていたが、生来の出不精により既に度が合っていない眼鏡を買い換えることなく使い続けていた。
父もそれを知っていて、気にかけていたんだろう。
それにしても娘への最期の言葉が母への気遣いとは。
羨ましい夫婦だと素直に思った。
「母さん、今度一緒に眼鏡を買いに行こうか」
「え?あぁ眼鏡ね、めがね。
  そうね、もう近くの物がほとんど分からないし。
これからはひとりだものね、必要かもね」
母は寂しそうに言った。

次の週末、母を連れて近所の眼鏡屋を訪れた。
視力を測り、普段使いの眼鏡を選び、老眼鏡も新調することにした。
レンズを作る間、近くの喫茶店で待つことにした。
改めて見る母は記憶より小さくなっていて、忙しさにかまけてしばらく帰省していなかったことを悔いた。
父ともゆっくり話すことなく別れてしまったのだ。
せめて母とはもう少し……。
ふと、テーブルに掛けてある母の杖に目がいった。
持ち手下の辺りに何かあるのが見える。
母はゆっくりコーヒーを啜っている。
私は杖を手に取り、見てみるとそこにはシールが貼ってあった。
ウサギを可愛らしくデフォルメしたイラストの、小さいシールだ。
小学生の女の子が日記帳に貼るような小さいもの。
ウインクするウサギの吹き出しには「ありがとう!」とある。
「母さん、これどうしたの?」
目を細める母にはそれでもよく見えないようで、
「なにそれ」と呟いた。

新調した眼鏡の勝手の良さに母は大層感動し、もっと早く買い換えるんだった、と言った。
帰りの車の中、外を眺める母にあのシールについて訊ねると、貼ってあることにすら気付かなかったらしい。
杖のシールをまじまじと眺めていた。

また週末に実家に戻ると、母は意外な程元気になっていた。
仲の良かった夫婦だから、もう少し引き摺ると思っていたが、案外そういうものなのだろうか。
居間で昔話をしていると、テーブルに置いてあるリモコンに小さいシールが貼ってあることに気付いた。
先日見た、杖のシールのうさぎと同じようなイラストのくまが、笑顔でジャンプしている絵のシールだ。
訝しむ私の視線に気付いた母が「お父さんよ」と、子供のイタズラに呆れるような笑顔で言った。
私は不思議に思い、「こんな可愛らしいもの、お父さん持っていたっけ?」と言うと、母は遠い目で「あの人、こういうこと好きだったもの。最後にやられたわ」と言った。

よく見ると、家の中のいたるところにシールが貼ってあった。
リモコンをはじめ、電気のスイッチ、棚の取手など、生活していて目につくところだ。
部屋の照明のスイッチには、亀が笑顔で「元気でね!」と言っているシールが貼ってあったりと、杖のシールのようなメッセージがあるものもあった。
自分が居たという気配を、家の中、母の生活の中に残したかったのだろうか。
今になると、父の最期の言葉の意味がわかる。
父は病気が発覚してから、母に見つからないようにこっそりとイタズラの準備をしていたのだ。
目が悪い母はシールに気付かなかった。
よく考えたものだ……。
子供のイタズラのような置き土産に、私は思わず顔が綻んだ。

あれから数年経った今になっても、母は家の中で新しいシールを発見することがあるという。
シールは日常使う場所や物の他に、月に何度か手にする通帳や健康保険証にも貼ってあった。
「がんばろう!」とか、「お大事に」などのひとことメッセージと共に。
また、例えば正月など年に一度使うものが入っている棚の中にも貼ってあり、ものによっては手紙も一緒に添えられていることもあるそうだ。
手紙の内容は詳しく教えてくれないが、そんなことを語る母は、例の呆れたような困ったような笑顔を見せる。
他にも置物の下や飾ってある絵の裏など、シールの隠し場所は様々だ。
それを生活の中で、ひとつずつ見つけていく。
母は自分からシールを探すようなことはしなかったし、私もそんな母の気持ちがなんとなくわかる。
会う度に新しいシールや手紙を発見した話をする母を見ると、母の中で今も生きる父の存在を感じるのだ。

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