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立ち会い出産がアリーナ席だった件 その壱 ※復刻版※訳あり復刻


私には8歳の娘がいる。小学3年生だ。
手が掛からない、とても穏やかな赤ちゃんだった。小学生になり、徐々にレベルアップしてゆく彼女は、元気過ぎてソファで跳ねまくり、中のスプリングが浮いてきてしまった。



休校が長引く日々の中で、黙々と逆立ちの練習をして、私や夫や壁を巻き込みながら、見事に習得した。私の掛け声や、近所の寺の鐘の音に合わせて、逆立ちした脚を自在に動かす裏技までも……。今日は、そんな娘を出産した時のことを書こうと思う。




時は遡り、8年前……。


出産予定日を9日も過ぎた私は、実家で過ごしていた。朝昼晩と、食卓では私の大き過ぎるお腹と、出て来ない赤ん坊についての話題で持ちきりだった。


その日、私は検診日だったのだが、当時まだ健在だった祖父は、元々過剰な心配性に拍車がかかり、また、長年の勘が働いたのか「今日の検診には必ず入院セットを持っていきなさい」と、しきりに言っていた。


うーん。そんなの必要ないと思うけどなぁ、と思いつつ、祖父がしつこいので、私は出産入院に必要な荷物を、大きなカバンにまとめた。私は父親の車に乗せてもらい、産婦人科へ行った。初老の男性である院長がひと通り検診した後「アナタ、今日、入院セット持って来たでしょう?はい、即入院‼」と、私のカルテに、ボンっと、大きなハンコを押したのだ。


ひょぇ〜、大きな入院セットは父親が待つ車の中なのに、何でバレてるの⁉



祖父の予言通り、私はそのまま入院する事となり、2階のナースステーションへと誘導されたのであった。


今思うとあの時、祖父は高次元の存在から、孫に入院セットを持たせるように……とメッセージを受け取っていたに違いない。


私はナースステーションで手続きをして、病室へと案内された。昔ながらの産婦人科とは言え、清潔な個室で広くて有り難いと思った。


着替えたり、棚やクローゼットに持参した洋服や小物を整理していたところへ、ベテランと思われる風貌の助産婦さんが入って来た。



「アナタ、入院生活だからって、ゴロゴロとテレビ見てちゃダメなのよ!予定日を過ぎてるのに予兆が無いんだから、しっかり頑張りなさい」と、私が手渡された物は、2キロの鉄アレイだった……。



「これを両手で持ちながらスクワットするのよ。私、時々見に来るからね。頑張るのよ」と強めに言って、ベテラン助産婦は部屋から出ていった。赤ん坊がお腹の中にいる、いわゆる妊婦と呼ばれる時期も終盤、そんな時に優しくお腹をさすりながら「もうすぐ出てくるのかしら〜」なんて淡い思い出を残す場合ではなくなってきた。


そう、私は、なかなか出て来ない赤ん坊のお母さんとして、ナースステーションで話題になっていたのだ。言われた通り、フィナーレ妊婦の私は、2キロの鉄アレイを両手で持ちながらスクワットをした。地味にキツイ。妊婦のバランスの取れない身体には、たったの2キロも、スクワットも、不安定なのだ。



それでも私は真っ直ぐ前を向きながら、しばらく続けた。


また、あのベテラン助産婦が、私をチェックするべく病室へやって来た。


今度は、ベッドの上で出来る体操を教えてくれた。四つん這いになり、背中を丸めて高い位置にして、次はその丸めた背中を下げながら、猫の伸びの様な格好にする。


師匠(ベテラン助産婦はもはや師匠)は私にその体操を伝授し、また病室を去っていった。


夕食の後も、真面目に体操を続けた私は、身体の異変を感じた。??? ⁉下半身からチョロチョロと何かが出てる気がする。



オシッコかな?
いや、違う。気のせいだ。

いや、やっぱり出てる。


出てる!ギャーーーーーー!





次回へつづく




※先日、誤作動により記事を削除してしまいました。なんとか復刻したのですが、せっかく皆様から戴いた大切なコメントを復刻する事が出来ませんでした。申し訳ありません。

コメントやスキをして下さった皆様、ありがとうございました🌈

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