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挑戦者をディスる人は2種類いる説

なにか新しい企画やプロジェクトを始めた時や準備を進めている時、ディスってくる人っているじゃないですか。
一般的には自分が挑戦していない人ほどディスってるイメージがあると思います。けど実は挑戦したことある人、もっというと「同じ分野で先を歩んでいる人」こそ、”悪気なく”ディスってしまっていることがあるのではないでしょうか。


挑戦者に対するディスりって2種類あると思っています。
①「どうせできないだろ」といった「挑戦すること自体へのディスり」
②「そんなやり方じゃ駄目だ、とか、ここが甘すぎる」といった「手段・プロセスへのディスり」
①をやるのは挑戦していない人。まあこれはほっといていいでしょう。

今回注目したいのは②です。どんな人かというと、えてしてその分野の先人達のことが多い気がしています。

例えば地域活性の分野だと、「(手段に対して)そんなことでは地域はよくならない」とか「(プロセスに対して)こんなところも出来てないじゃないか」みたいなことを若者に言って関係性が悪くなってしまう地域の大人がいたりします。
大人側の気持ちもよくわかります。僕もつい似たようなことを言ってしまうことがあったりします。


けど一呼吸置いて考えると、きっとどちらも「この地域をよくしたい」という根底の思いは同じはず。それなのにいがみ合ってわかりあえないというのは、なんかもったいないなあと思うわけです。


じゃあ何故根底の思いは同じなのにわかりあえないのかと考えると、それは手段(HowやWhat)がお互い異なるからだと思います。
「思いが一緒ならわかりあえる」みたいなことをよく聞きますが、そうじゃないことも多くて、むしろ目指す先や思いが同じほど、手段の優劣やプロジェクトの進め方の甘さに目が行きディスり合いたくなってしまうものなのです、きっと。
異なることそれ自体は悪くなくて、むしろ多様な視点や取り組みがあることは良いことだと思います。
けど、そのお互いの違いや甘さに対して、建設的な意見やアドバイスではなく、ディスり合いになってしまったときは、ちょっと悲しいなあと思うのです。
会社で他部署をお互いにディスりあってる場合も、同じような状況かなあ。


じゃあどうしたらいいのでしょうか。
ここまできて逆説的かもしれませんが、お互いに思いは一緒だということ(=共通項はあるということ)を”認識する”ことだと思います。


別に手を取り合わなくてもいいけど、お互いにリスペクトは必要だと思うのです。目指す先の思いは一緒だということをお互いに認識した上で「確かに手段は違う。けども、地域をよくしたいという思いは一緒だよね。」とお互いに敬意を払えるかどうか。つまり、「違うところばかりではなく、共通しているところに目を向けられるかどうか」だと思います。
その分野で実績をあげてきた方々や、自信のある自分のやり方がある方々ほど、きっと他人の未熟さや手段の不完全さに目が言ってしまうものなのでしょう。

建設的な意見を言い合える、分かり合える世の中になるといいな。

おわり。

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