農園スタンド営業再開
ひと月ほど前に、「農園スタンド辞めます」という投稿をした。舌の根も乾かぬうちの再開となる。コーヒーを淹れたくなったから、お客さんの話を聞きたくなったから、お客さんと話をしたくなったから…再開することにした。
実際は4月からやっていないので、半年ほどのブランクはある。やりたくないと感じていた頃もあった。もしかすると、またそういう感情がわいてくるかもしれないという恐怖心もあるが、農園スタンドやコーヒーを通して人と関わる時間が僕にとってとても大事なんだろうなと再認識するいい時間になった。
きっとこれは僕にとってとても大切な時間。
嫌になったから0にするってのはもったいなさすぎる。この時間をなんとしても確保する。やらなきゃいけないって気持ちが、自分の気持ちを曇らせる。
嫌にならないように、自分がご機嫌でやっていけるような方法を考えて、考えて、実行する。
やりたいからやる!大切な時間だからやる。きっとそう。
農園スタンドや以前公園でコーヒーを振る舞う活動は、僕が憧れる諸先輩方を真似て始めた。かっこいいな。憧れるな。って方はたくさんいる。今までは憧れは憧れで終わっていた。でも、心の中で同じフィールドに立ちたいとは思っている。同じ目線で会話してみたいって思っている。
周りの後押しがあり、僕はやりたかったことを形にした。やり方はまねした。でも、そこに行き着くまでの過程(きっかけや想い、環境…)は全く違うから猿真似とは違う。←使い方合ってる?笑
夜のコーヒーが好きだ。僕にとってのコーヒーは「夜の喫茶文化」からスタートしたと言っても過言ではない。バイト先で感じたあのなんとも言えない煌びやかな感じ。なのにどこか後ろめたさもあり、どこか温かい。公園でふるまいコーヒーを始めた原風景だ。あんな光景、四日市でも味わいたいよって。
ただ、朝のコーヒーも好きだ。
ある先輩が朝早くに漁連にある食堂の店先でコーヒースタンドを開いていた。たまらなくかっこよかった。いつもはそこには何もないのに、その日はハイカラで、おしゃれで無骨なエスプレッソマシーンが鎮座し、漁師さん達にコーヒーを淹れていた。作業着を着て、白い息を出しながら冬の漁連で美味しそうにコーヒーを飲んでいた。いつもは缶コーヒーのおじさんたちもその日ばかりはその人のコーヒーをこぞって飲んでいた。大学生の僕はものすごくその人がかっこよくみえた。なんておもしろい方なんやって。
昨年の2020年10月にオープンした農園スタンドだが、最初にもう少し前なんだ。2018年12月。「三重県四日市の片田舎にコーヒースタンドがあってもいいじゃない」ってのが始めたきっかけかな。都会への憧れからか、作業着を着たおじさんたちにコーヒーを淹れていたあの人の姿に憧れていたのか、そんなことを考えていた。
「ないなら自分がやってみる」を信条としている僕はコーヒースタンドを友人の畑にある小さなビニールハウスを借りて始めた。「借りて」と書いたがそんな簡単なものではない。園主がコーヒースタンドしてる僕のことをイメージして作ったビニールハウスを借りたのだ。今思うとめちゃくちゃありがたすぎる。何も持っていない僕にとってその場所はありがたすぎる場所でした。
その時はふるまいだった。公園でやってたふるまいコーヒーの延長だったからというのもあるし、わざわざきてくれるだけで嬉しかった。「コーヒースタンドがあってもいいよね」って気持ちが伝わった気がしてやっている本人は満たされていたから。
そこでやりたかったことがブログにしっかり書いてあった。
僕がやりたいこと⇒珈琲を通した社会との接点をつくること
長くなったからもうそろそろ終わるね。
農園スタンドを再開するにあたって、深く考え込みすぎないようにしようと決めた。悩まず、止まらず、嫌にならず、とにかく進み続ける。
コーヒーを淹れて、飲んでもらう。少しの会話でお互いに満たされる。そんな時間を作ること。僕の思うやり方で、周りは関係ない。お客さん商売ではあるけど、わがままとも言えるけど、それでもいいよ!そんなすみへいのコーヒーが飲みたいよって方に向けて僕はコーヒーを淹れたい。
根っこには憧れがある。自分にとってめちゃくちゃかっこいい諸先輩方のかっこよさ。
その憧れに、自分の心地よいやり方をもって形にする。
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