辺境のヘビーローテーション② Dominic Fike - King Of Everything

 ほとんど出来上がりかけていたものを、台無しにしたことがあるだろうか。私はある。1度や2度ではないと思う。そのせいか、完成間近になると急に手が止まることがある。あとは最後の仕上げだけだから、明日ゆっくりやればいい。そう言い訳をしてシンクを磨いたり、やけに凝った料理を作ったり、ずっと放置していた本をとうとう読み始めたりする。油断よりは恐れの方が大きい。ほぼ完成と、完成は明らかに異なる。だから怖くて腰がひける。

“Dominic Fike is ready to be very, very famous” (訳:ドミニク・ファイクは、とんでもなく有名になる。その準備はできている)

 これは、FADEER.COMに掲載されたDominic Fikeを紹介する記事のタイトルだ。ただの「famous」ではなく「very very famous」という記述は、2つの意味で正しい。

 まず、彼はすでにそれなりにfamousである。メジャーとしてのデビューシングル「3 Nights」のPVは、YouTubeで1000万回再生を超えている。あと1曲かできれば続けて2曲、決定的なものが出せれば「very very famous」になりそうな気がする。veryが1回のfamousではない。記事のタイトルどおり、彼にはveryが2回分の要素が備わっているのだ。

 今は情報と材料がそこら辺にごろごろしている。だから勘とセンスがよければ、そういうものを組み合わせて、ちょっといい感じの曲をつくることはできる。でもそれだけではvery very famousにはならない。そこから飛び抜けて人目をひくには、他からは借りられない部分がどれくらい魅力的かという単純でシビアな話になってくる。

 たとえば、歌がうまいより、声質そのものや発声の癖が印象的な方がいい。万人がそれなりに美しいと思う容姿より、写真や映像によって見え方に幅がある方が、気になって何度も見直してしまう。そこに人間としてのストーリー性が加わると強い。他にも様々な要素があると思うが、とりあえずDominic Fikeが持っていそうなものをざっとあげると、こんなところだろうか。

 Dominic Fikeはアメリカのフロリダ州出身のシンガー・ソングライター・ラッパーで、現在23歳である。最近はジャンルの境目が溶けてしまっているので意味がないように思うが、Wikipediaのジャンル欄は、オルタナティブヒップホップ・インディーポップ・ラップロック・オルタナティブR&B・ヒップホップとなっている。

 メジャーレーベルの注目を集めるきっかけとなったのは、警察沙汰をおこして自宅謹慎させられていた期間にレコーディングしたというEP、『Don't Forget About Me, Demos』(2017)だ。メジャーとの契約は重要視していなかったらしいが、彼は推定400万ドルとされる契約金で、コロムビア・レコードとの契約書にサインする。ドラッグで問題を起こしていた母親のために有能な弁護士を雇う金が必要だったのだと彼は言う。そして『Don't Forget About Me, Demos』(2018)がコロムビアの名のもとで再リリースされる日、彼は2年間の服役を言い渡された母親を刑務所まで送って行く。

 こんなストーリーは音楽とは関係がない。それはわかっているのだが、興味本位で読んだゴシップが記憶に残ってしまう。音楽と関係がないことのついでに容姿にも触れると、ジェンダーレスな雰囲気がとても魅力的だと思う。額や目の下のタトゥーも目を引くが、レッチリの元ギタリスト、ジョン・フルシアンテの顔のタトゥーが彫られた右手も気になる。

 声は、薄いわけでも儚いわけでもないのだが、早口にまくしたてても芯にある細みが損なわれないところがいい。ボールを軽く投げるように発せられる力みのないファルセットは、宙を舞い上がってそのまま落ちてくる。誰かに向かって言葉を投げているようなときも、結局本人のところに戻ってきてしまうような孤独感が、その声にはつきまとう。

 コロムビアの名の下でリリースされたメジャーデビューアルバムのタイトルには「Demos」という単語が残ったままだった。メジャーのプロデューサーやエンジニアを入れて、完成バージョンを出すこともできただろうが、そうはならなかった。理由はスピード感を優先しただけではないと思う。

 ほとんど出来上がりかけているものを完成させるとき、余分なものは排除される。抑えるところを抑え、出すところを出し、的を絞り込む。構成を最適化する過程で障害になったものは、それがどんなに美しくても残せない。それはまったく正しい判断だが、一瞬作業の手が止まるのは、私たちが不完全なものに惹かれてしまう性質を持つからかもしれない。

 「very very famous」になる物語の冒頭として、ここまでは完璧だと思う。あとは仕上げるだけに見えるが、この先どうなるのかはまだ誰も知らない。

King of Everythingはアルバム最後の曲だが、この曲にはエンディングが欠如しているように思われる。おもちゃに飽きた子供のように、演者はさっと姿を消し、残されたものは空白に向き合わされる。それを埋めるためには、不確実さを内包したままの曲をローテーションするしかない。


(References)


最後まで読んでいただいて、ありがとうございました! そこにある光と、そこにある影が、ただそのままに書けていますように。